銭婆が教えてくれた魔法が心の御守りになった話
私は、ジブリ作品の「千と千尋の神隠し」が大好きだ。
セリフを暗記できてしまうくらい何回も見た。たくさんのお気に入りのシーンがある。特にかわいくてお気に入りなのが、銭婆の家でカオナシがチーズケーキを食べているシーン。
チーズケーキがもちっとしていて、フォークを入れる際に生地が沈むのがかわいい。
そのチーズケーキに垂直にフォークをさすカオナシ、かわいい。
ぱかっとあけて、チーズケーキを口に入れるカオナシ、かわいい
このシーンを見ているときの私は、
カオナシ!!チーズケーキ!!!かわいい!!!かわいいねえ!!!!かわいいねえ!!!!癒されるねえ!!!
とそれはそれは発狂しながら見ている。かわいいんだもの。なんとなく、カオナシがやっと落ち着ける場所を取り戻した、平和な雰囲気をまとっているような感じがして。大好きなシーン。
今までは、銭婆の家のシーンでは、このチーズケーキのシーンを愛でた後は気づいたらもうハクが迎えに来て、エンディングにどんどん向かっていくという流れだった。
この間、千と千尋の神隠しを見ていた際、今まではチーズケーキの興奮であまり気にできいなかったけれども、とても大切なことを銭婆が教えてくれていた場面がことに気づいた。
それは、銭婆が、千尋の相談に乗っているシーン。
「ハクに昔あったことがあると思うのに、どうしても思い出せない」
といった千尋に
「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」
と銭婆が返す。
このシーンを見て、はっとした。
「これ、今まで自分が抱いてた悩みのヒントになる言葉だ。」
母と接するうえでいつも心にとめておきたい、心のお守りになる魔法だなと感じた。
ここで、母の話をしようと思う。
若年性アルツハイマーの母
母は、5年前から軽度認知障害(MCI)の兆候が見られ、4年前に若年性アルツハイマー病と診断された。
母は、日に日にうまくできないことが増えたり、うまく物事を思い出せなかったりすることが増えてきた。
そのたびに私は、
「母さんはいつかこうやってできないことがどんどん増えていくんだ」
「なにもわからなくなってしまうのかな」
「私の事も、忘れられたらどうしよう」
そんな不安に心が支配された。
認知症=なんでも忘れてしまう、なにもわからなくなってしまう、徘徊したりなんだりウンタラカンタラアブラカタブラ
と思い込んでいたから。
でも、いろんな勉強をしたり、いろんな人と話をしたり、銭婆の言葉に気づいたり、さまざまな発見のなかでそんな不安に駆られすぎなくてもいいんじゃない?とかようやく気持ちがほぐれてきた。
実は忘れることなんてひとつもない
これを読んでくれている方も、きっとこんな経験あると思う。
「あれ、さっきなにしようと思ったんだっけ・・・」
「アッ、この本探そうと思ってたんだ、忘れてたわ」
とか
「次会ったときにむちゃくちゃ話したいことあるって言ってたよね~?」
「あれー、なんだったっけ、忘れっちゃった。思い出したら言う!」
といって、何気ない話の流れの中で
「あ!!さっき話そうと思ってたこと、思い出した!!」
みたいなこととか。
実際に、友達と話すときによくある流れ。
これらは、別に
「忘れている」わけではなくて、ただ単に「思い出せない」だけ。
完全に記憶から落ち切ったわけではなく、頭のデータベースの中に存在しているけど、うまく引き出せなかったという、これだけのこと。
これは、ふとした瞬間とか、その思い出したかった出来事に関連する何かに触れた際にふっと思い出せたりする。
これは、みんなも、認知症と診断された人も、根本は同じ。
認知症の人は、ほかの症状ももちろんあるけれども、
他の人に比べると、’引き出す’ということがどんどん苦手になっていくだけ
…なんじゃないかなと思うようになった。
やっと、自分の心の中に落とし込めた感じ。
言葉の本質はチョコレートが教えてくれた
この間の出来事。
独り言をぶつぶつといつものように吐き出す中、
「チョコレートが欲しいの」と繰り返しだした母。
チョコレートは母の大好物である。
チョコレートを食べると、険しい顔で独り言を言っていた時間が「オイ、オイオイオイ嘘だったんか?」と思ってしまうくらいスッと穏やかな顔になり、いったん落ち着きを取り戻す。個人的に、薬よりも絶対チョコレートのほうが効果あるだろ…とおもってしまうくらい、母への効果はテキメンだ。
時計を見ると21時30分だった。
こんな遅い時間に買いに行くの嫌だなぁ…
めんどくさいなぁ…
食べさせすぎても体に悪いしなあ…
いろいろと自分に都合のいい理由ばかり頭に並べて
「今、チョコレートは収穫ができなくなって、どこのスーパーにもおかしのまちおかにすら、チョコレートはないんだって。チョコレートの危機なんだって。だから、チョコレートが手に入るようになったら一緒に買いに行こう。今はないらしい、チョコレート。」
口からでたのはむちゃくちゃなウソだった。なにが危機じゃ。
とにかく面倒くさかった私は、とにかく危機、チョコレートがないということを強調して母に言葉を返した。
母は、しばらくチョコレートチョコレートつぶやいていたが、その言葉が通じたのか通じてないのかがわからなかったけれど、あきらめがついたのか、疲れたのかでその日は寝てくれた。
その次の日、体を動かすために散歩に連れていきたかった私は、
魅惑の誘い文句として
「チョコレート買いに、あのスーパーまで一緒に散歩しようよ」
といってみた。そうしたら母から衝撃の返答
「昨日チョコレートないんじゃなかったの?」
オッ、おぼえてたんかーーーい!!!!!
全私の細胞、びっくり。
だって、母はすぐ前のことも、昨日の出来事も、忘れてうまく思い出せないんだと思っていたから。
そこで、自分の中で
「一度会ったことは忘れない、思い出せないだけで」
という言葉をやっと落とし込めた感じがした。ようやく、こういうことなのか、と分かった気持ち。チョコレート効果サマサマである。
私が「チョコレートは絶対手に入らないんだよ」という盛大なウソをかました時、母は返事をしなかったから、ムーディー勝山のごとく右からやってきた「チョコレートのウソ」は左に受け流されてしまってなにも残っていないと思っていたけど、そんなことはなかったんだな。
私が発した言葉は、母の耳を通って母の脳まで届いてはいる。
たまたま、今回タイミングがよくて母の口から言葉として「伝わっているよ、聞こえているよ」ということがかえってきたんだなと思った。
意外と、
「一度会あったことは忘れないもの、思い出せないだけで」
という言葉がよくつかめていない人もいるんじゃないかと思う。
実際に、私が認知症に対する認識の塊をもっていたから。
「忘れたらそれっきりなんだ。もうなにも覚えられないんだ。」
とかね。
でもそんなことないと思う。
うまく思い出せないだけで、その人にはいろんな感情や出来事は確実に積み重なっていると思う。
自分がかけた思いやりを込めた言葉も、
どうせわからないんだ!と思って当たってしまった悲しさがこもった言葉も、
「わかっているよ」 「本当はこう思っているよ」
という、言葉が返ってこないだけで、確実に伝わっているんだ。
このことは、心にとめておきたいなと、思っている。
忙しいとどうしても忘れがちになってしまうから。
その人本人と接し続けるために、本人と向き合うために、
ぜんぶ忘れてしまうんだ、なにも伝わらないんだという思い込みの呪いから、解く魔法の言葉。それを銭婆は教えてくれていた。
さいごに
認知症になる人はこれからどんどん増え続けていくといわれている。
身近な人で認知症の人、認知症になる人もきっと出てくると思う。
そんな人がいたら、そんな人と接するときはこの言葉を思い出してくれると嬉しい
「一度あったものは忘れないものさ、思い出せないだけで」