性格形成は家庭環境とは無関係? (6)──一卵性と二卵性双生児。親の扱いが異なる?
○一卵性と二卵性双生児。親の扱いが異なる?
統計処理の方法以外で、実態にそぐわない歪みが生じているとしたら、どんなケースが考えられるだろうか? 浮田徹嗣氏(注2)は、二卵生双生児は親から同じ扱いを受けるわけではないとし「一卵生双生児は出生後両親からほぼ同様に扱われるのに対し、二卵生双生児は出生直後から、体の大きい方がお兄ちゃん的(お姉ちゃん的)扱いを受けるということを考慮しなければ、一卵性か二卵性かの比較により遺伝の影響を議論するのは適切ではない」と指摘している。
たしかにその通りである。まずはここで共有環境、非共有環境という言葉を改めて考えてみよう。安藤氏は「共有環境は基本的には家庭環境や親の影響(P83)」と述べているが、別の箇所(P68)では「共有環境とは厳密には家族メンバー(双生児)を似させようとする環境のことで、非共有環境とは逆に異ならせようとする環境のことをいう」と述べている。
つまり共有環境は、そのまま同一家庭での生活環境を意味しているわけではない、ということだ。たとえば同じ塾に通っているならこれは共有環境になる可能性がある。また浮田氏が指摘しているように、同じ家庭で暮らしていても親が二人を同じように扱うとは限らない。また親が同じように接しても二人が同じように受け止めるとは限らない。こうした場合は非共有環境となる可能性すらある。
この他、気になったこととして、いくつかのHPを見ていると非共有環境という言葉を、友達や学校生活など家庭以外の環境と捉えている文章を見かけた。しかし双子が同じ友達、同じ学校という場合も多いので、これを非共有環境としてしまうのもどんなものかと思う。
こうした点から考えると、共有環境と非共有環境とを厳密に区別のは簡単ではないということにはなりそうだ。
なお、こうした議論が共有環境の影響が少ないという議論に結びつけられるかという肝心な点に関しては、現時点で、私には分からない。