「自分探し」を探してみる(4)「ヤノマミ」を読んで──完結した世界で暮す人たち

 「ヤノマミ」を読んで──完結した世界で暮す人たち

ヤノマミ族はブラジルとベネズエラにまたがる先住民で推定2.5万-3万人。筆者の国分拓さんたちはその中でも最も原初に近い生活を営む部落において、NHK取材班の一員として合計150日間生活した。

 ヤノマミの男たちはお腹が空いたときだけしか狩りに出ない。それは「食べ物があるのにどうして狩りにいかねばならないのか」と考えているからである。女たちは実に良く働く。しかし誰かに強制されてというよりも、本人たちがそうしたくてしているようだ。

 しかしそれは「自分が良いと思う生き方をしてよい」という私たちたちがしばしば語るスタンスとは似て非なるものである。ヤマノマの人達はメンバー全員が共有する「摂理(定め)」の中で生きていて、そのことに疑問を持たない。ところが、私たちにはこれに相当するものがない。もちろん法律や慣習はあるが、それを守るかどうかは自分で考え判断する。つまり決定権はあくまで自分にある。

 これに対して、ヤマノマの人達は、もともと自分たちがそういう定めの中で生きることになっているので、疑問を抱く対象とならない。こうした太古の昔から定まっている摂理は、ルールや慣習だけでなく価値観や世界観まで及ぶ。その意味で超安定社会なのだ。

 こうした摂理の中で生きることは、ある種のユートピアだったのだろうと私は想像する。ただ「だったのだろう」と過去形で語るのは、遂にはこの人たちの中にも「文明」が侵入してしまい、今では私たちが持つ悩みが最も先鋭化された形で突きつけられている現状があると思われるからだ。ユートピアから引きずり出されてしまった人たち、そんな感想を持ってしまった本である。


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