マヂカルラブリーの漫才と野球お父さん
年末がくるまえに、昨年のM-1で起きたマヂカルラブリーの「あれは漫才か」論争について、思ったことを書いてみたい。
あの論争が起きたとき、私は思った。
これ、なんだかあれに似てる。
小学生のときに、テレビの野球中継をみていたお父さんがよく言っていた。
ああもう、下手くそ!
どこ打ってんだよ!
とても面と向かっては言えないが、テレビの前で白熱しているからこそ出てしまう言葉の数々。あれに似ているなと。
下手くそなどと言ったって、仮にいまこの瞬間お父さんがこの試合に代打で出たとしても、打てるわけがない。スポーツなどろくにやっていないおじさんが、日本の最高峰が集まるプロ野球の選手に向かって下手くそなどと、もってのほかだ。自分ができもしないことを他人に要求すべきではないと思う。
でも、言ってしまう。
あまつさえ、俺ならこうするなどと監督の采配に口を出したり、審判の判定にケチをつけたり。
もちろんお父さんも頭では分かっている。プロが判断したこと、選んだ道が最善であると。それでも、試合に熱中していると、ついつい言いたくなってしまう。そして、試合が終わると今度は、今シーズンの仕上がりはどうだとか、誰々の肩の調子がいいだとか、チームの行く末や選手の状態について、論じたくなってしまうのだ。
これと同じことが、お笑いの世界でも起きているのだと思う。
漫才などしたことのない私たちがあれこれ言ったところで結論など出るわけがないのだし、プロがやっている漫才をプロが評価する、それ以上の結論はない。
でも、言いたくなってしまう。
こうなってきたことが、私は嬉しかったと言うと語弊があるけれど、何だか少しワクワクした。
いま、お笑いがプロ野球やサッカーと同じくらい、みんなを夢中にさせているということに。
M-1が始まって数年は、誰が優勝したとか、お笑い好き以外の間で話題になることはなかった。だけどいまは、M-1も、ほかの賞レースも、結果がすぐ翌日にはニュースになり、学校や職場で話題になる。
これってすごいことだ。
長い時間をかけて、お笑いが、スポーツや紅白と同じところまできたのだ。
ここまでずっとM-1や他の賞レースを開催し続けてきたスタッフの方々やスポンサー、出演した芸人さんの凄さだと思う。
賞レースは、コンテストだからもちろん優勝を決めるのだけれど、お笑いの世界を盛り上げるためにやっているのだと私は思っている。
だから、あの論争が起きたこと、それ自体がお笑いの世界が盛り上がっていること、素人でも論じたくなるくらいみんなが夢中になっていることの証明なのだと感じた。
今年もM-1の季節がやってくる。
結果に対して、いろいろなことを思うし、テレビの前やSNSで論争が起こることもあるかもしれない。
でも、これはあれと同じなのだ。
夏の日に、枝豆とビールを前に野球中継を見ながらくつろぐお父さん。
ピッチャー振りかぶって投げた!
アウト!
何やってんだ、下手くそ!
とか言いながら、次の瞬間はそう言ったことも忘れてまた試合にかじりつく。そう、彼は夢中なのだ。
あの日のお父さんのように、応援して、夢中になって、ときには口を出して、好きなように論じる。
M-1は冬だから、ビールではなく熱燗と鍋を前に、今年もワクワクして待ちたいなと思う。