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友だちと弁当を交換できるか 『逢沢りく』

『逢沢りく』を読みなおす。
飛べない鳥、巣から落ちた鳥というとこで、羽をもがれた美少女『逢沢りく』を連想したのだが、まあきれいさっぱり話のスジを忘れていた。あの話、籠の小鳥がわりと中心に出てくるじゃないか。連想力を誇るべきか、忘却力を嘆くべきか。

ともあれ。
いい漫画だなあと思う。

筋書きでいえば、わりとシンプルで。誰もが羨む裕福で美しい家族だけど、父は会社のバイトの女と不倫してるし、母は、庶民の夫の実家を蔑む。
食べるもの、着るものに潔癖なまでにこだわって、娘には外食さえ許さない。道ばたの子猫もバイキン。関西弁も下品なもの。関西の義実家から送られてきたおいなりさんに手を伸ばしかける娘を叱る。そんなうちで育ったりくちゃんが、大嫌いな父の実家に、母の都合で送られて、という話。

この母が、すごいのだ。夫の不倫相手がうちにきたときも、素知らぬフリして完璧な手料理でもてなしたり、よい母をやったりするのだけど、徹底的に「他者」を拒否する。バイキン、として。

「何が入っているかわからない」と、義実家からの贈り物を汚いものとして扱い、自分の娘でさえ気に入らぬ行動をとれば、ティッシュでも捨てるように自分が唾棄する関西へ追いやる。父は、母を尊重するフリをしてまったく関心がない。
そんなところで育った14歳の少女が、敵地でおせっかいなおっちゃんおばちゃんとともに、そして転校先の学校でひとりどう生きて、どう変わるのかというのがクライマックスなのだけど。


他者と共存するって、すごく生活に根ざしたものなんだと思った。
『きょうの猫村さん』を書いてるほしよりこさんだからかもしれないけど、その人の価値観とかを衣食住で描かれていることに説得力を感じる。

ママは、パパの実家から送られた手作りおいなりさんを、おそらく食べずに捨てる。
完璧すぎておかしいと言われるママ手作りのお弁当を、大嫌いな関西の男の子の弁当と交換して吐きそうになる。
義実家では、おばちゃんが昔着ていたというダサいスカートを履かされる。

ラストシーンも泣けるのだけど、他者、つまり自分にとっての異物を受け入れるということをああやって描くのかあと感動する。

食べるもの、着るもの、話すことば。
他者を尊重するとか、他者とともに生きるってかんたんに言うけど、それは頭でどうにかするということより、もっと生々しいものだと思う。「他人の靴を履く」というイギリスのことわざのように。

うめざわ

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