即興劇から培ったこと 〜インプロ集団MOSAïQUESでの活動を通じて〜
フィクションの世界で遊ぼう!
20代の頃にがっつり取り組んだことの一つにインプロがあります。インプロとは、インプロヴィゼーション(improvisation)の略で日本語では「即興」と訳されます。音楽でもジャズなどの分野で、当日集まった人たちで即興でジャムセッションをすることをインプロと呼ぶことがありますが、私が取り組んでいたのは演劇分野でのインプロで、「即興芝居」や「即興劇」と翻訳されることが多いです。
私は小学1年生〜高校2年生まで、福岡県飯塚市にある子どものためのドラマスクールという演劇を使った表現教室に通っていました。その後、2011年にOB・OGでインプロ集団MOSAïQUESというチームを組んで、2018年に卒業するまでの7年間、がっつりインプロと向き合いました。
脚本もない、衣装もない、舞台セットもない。自分から湧き出てくる感情や、一緒に演じる人との関わり、お客さんからいただくセリフ、物語を展開するための幾つかのルール。あらかじめ決められた脚本ではなく、その場所で生まれるたくさんのことをヒントにして、その日その場所限定のオリジナルのストーリーを作ります。
インプロを言葉で簡単に説明することはとても難しいことです。楽しみ方としては芝居よりもスポーツ観戦に近いのかもしれません。スポーツのようにルールはある(ことが多い)けど、選手やコンディション、様々な諸条件によってその日の試合が勝つか負けるか、楽しい試合かつまらない試合かわからないように、インプロもプレイヤーや場所、客層、その日のプレイヤーの精神状況などでショーの良し悪しが全く異なります。いい試合が見れたらラッキーな反面、スコアレスドローのつまらない試合の日もあるように、超感動的なシーンをみんなで体験することもあれば、なかなか噛み合わないシーンばかりでめげそうになることもあります。
演劇はフィクション。死ぬシーンをやったからといって、本当に死ぬわけではありません。ひどい言葉を吐いたからといって、本当に相手が嫌いなんじゃない。フィクションなんだから、どんどんチャレンジして冒険すればいい。それでも私たちは普段の生活で、必死に取り繕っているものを簡単に手放すことができず、「思い切ってやってみる」「堂々と失敗する」ことを恐れます。萎縮した体からは、萎縮した表現しか出てこないのです。
インプロをする中で、見つめ直した自分
だからこそ、即興だとしても本番の日だけ頑張るわけではありません。
どんな試合(ショー)を迎えるかわからないにしろ、選手(演者)はできるだけいいプレイができるように、日々トレーニングに励みます。サッカーだったら、走り込みや、ドリブル、パス、シュート、メンタルマネジメントも必要かもしれない。
インプロの場合は、たくさんの遊びを使って、表現の仕方を練習したり、心の動きの機微に気づいたり、体を動かしたり、コミュニケーションをとりやすくする方法やストーリーテリングについて考えてやってみたり、恐怖心をコントロールしたり、自分の心身と向き合う時間をたくさんとります。普段の生活でついつい身につけてしまった鎧に気づき、本来の自分自身を取り戻すような作業を繰り返します。
私はインプロに本気で向き合うことで、こどもの頃から傷ついてきたことによる自分の中のトラウマと、それによってできた心の執着に気づきました。
・○○ちゃんを怒らせてしまった→ 私は人を不快にさせてしまう人間だ
・仲間に入れてもらえなかった → 私はみんなと仲良くできない
・誤解された → 私は変なんだ
・わかってもらえなかった → なにも言わない方がいい
・みんなとは違う → みんなと同じものを求めてはいけない
・どうせ私はこうだから → どうせうまく出来ない
いつの間にか築き上げてきてしまった自分の中の「諦め」
なんであの時、上手に振る舞えなかったのだろうか。
どういう行動をしたら、納得できていたのだろうか。
そのことに一つ一つ向き合って、
「こう表現すればよかったんだ」
「私がそう決めつけてただけだ」
「もっと他にこういう方法があったのかもしれない」
と、演劇のロールプレイングの手法を使いながら、自分自身の固執した部分に気づき、受け入れて、許してあげることができるようになりました。
コミュニケーションを楽しめるように
インプロは、私に生きやすくする表現の練習をさせてくれました。
・どんな表現をしたら、相手に自分の気持ちが素直に伝わるだろうか。
・どんなリアクションをしたら、ハッピーな展開になるだろうか。
・相手は次何をしたがるかな?
・お!そうきたか!じゃあ、これはどうだ!
インプロをする中で、何度も何度もロールプレイングをするうちに、実社会で受けた傷をリハビリするような感じで、私は自分の自己表現に自信が持てるようになっていきました。
そして気付いた1番のことは、気分は相手にも伝播してしまうということ。ご機嫌なオーラを身に纏えば、ご機嫌も周りに伝播します。
ASDの人はコミュニケーションに課題があると言われてきました。私は幸いにこのインプロを通して、表現に対する特訓を受けたことになります。
定型の人の物事の捉え方、適切なコミュニケーションの取り方、を知らなければコミュニケーションに問題が出るのも自然なことです。相手の気持ちがわからない以前に、自分の気持ちもよく理解していないことがあります。
個人的な経験則になってしまいますが、私は自身の体験をもとにASDの人にインプロでの学びは有用だと感じています。
社会を擬似体験することで、関わり方の基本をみつけられるような気がするからです。
全国での活動を通して
インプロ集団MOSAïQUESでは、全国津々浦々、いろいろな場所に出かけました。東は仙台、西は沖縄まで。初めての人とでも一緒に楽しめるのがインプロ。いろいろな土地の人とともに時間を過ごしました。
インプロ集団MOSAïQUESのメンバーと色々な施設を回って、ショーやワークショップを行いました。福祉施設で障害のある人と一緒にお話を作ったり、保育園で子どもたちと一緒に表現遊びをしました。
MOSAïQUESのメンバーは保育士や医師、司書など色々な専門性を持っているので、子どもたちとの関わり方、障害のある方との関わり方を一緒に体験しながらその日その場所を楽しく過ごしました。
私たちのインプロショーは、もちろん台本がありません。なので、お芝居にあるあるの「静かにみましょう」というルールも必要ありません。
演じている途中で、急に子どもたちがステージ上に上がってくることもあります。そしたらその子どもには、登場人物になって貰えばよいのです。
トラブルはトラブルじゃない。
何が起こってもいい。(何が起きるかわからない)
ハプニングがあるからこそ、次が面白い展開になるかもしれない。
そういう空気感があるからか、普段はみんなの輪に入ろうとしない子どもたちもそれぞれのスタイルでその場を楽しんでいる姿をよくみました。
東日本大震災をきっかけとした東北キャラバン
仙台や福島の子どもたちと遊ぶようになったきっかけは東日本大震災でした。MOSAïQUESが結成した年、宮城県の避難所で「即興劇」と「即興ワークショップ」をする機会がありました。私自身はその時は参加しなかったのですが、身体ひとつと想像力だけでお芝居をすることができる即興劇は、避難所という何もない場所でもお客さんと楽しむことができました。
被災という現実から、想像の世界に少し避難することができる。休校が続く子どもたちも走り回って楽しむことができる。
おもちゃがなくても空想の世界で遊ぶことが大好きな子どもたちとインプロの相性はバッチリで、体も心もたくさん使って遊べるインプロの新しい可能性を感じた出来事でした。
何にだってなれるよ。空想の世界なら。
そうして全国津々浦々を回り、「その時間を一緒につくる」公演を開催していきました。毎回うまくいくわけではないけれど、そもそも結末なんて最初からありません。客席からブーイングがあったり、お客さんの顔が納得していなかったりしたら、何回でも「もう一回!」といって面白いシーンができるまでやり直しました。何度やってもダメな時は、素直に謝って、別の物語を作り始めました。
・失敗する姿をさらけ出す
・うまくいくまで何度でも挑戦する
その姿を見ているうちに、お客さんは批評する側から応援する側に回ってくれることを学びました。
素晴らしい仲間たちと最高の経験をすることができた7年間でした。
多忙になり、団体からは離れてしまいましたが、今でもたまに仲間に混ぜてもらったり、また時間が作れたら一緒に活動したいなと思います。
MOSAïQUESを通して、インプロを通して、自分の中に培ったものは数えきれないほどあって、それはその後の仕事にもめちゃくちゃ役に立ちました。
障害福祉施設では、利用者から飛び出してくる想定外のアクションにも、面白がって関わることができましたし、
専門学校の講師では、一方的な授業ではなく、一緒にその授業を作り上げようという意識がありました。
普段の生活一つとっても、目の前の人と楽しい時間を過ごすことをモットーに、その人その人に合わせたコミュニケーションが取れていると感じます。
ハプニングを面白がれるインプロマインド。
今後の研究活動でも活用していきたいです。
遊びと子どもとインプロ&mosaïques(2011〜)
(旧 インプロ集団MOSAïQUES)
https://www.facebook.com/impromosaiques/
いいづか子どものためのドラマスクール (1996〜)
https://www.facebook.com/iizuka.dorama.school