氷心臓物語~そまりゆかぬ私vol.5~
だけど、これはネットの関係で…。大切にするのはいい事だけれども、大切にし過ぎてはいけない。昨日、死のうとも葬式には参加できないし、ゲーム以外の時間で関わりをもつ事はない。それでも、その関係が逆に良い。どこの誰かも知らない他人に、優しくしてもらい楽しい時間を過ごさせてもらう。これが、自分の人生の本業であるけれど、本業になってはいけない。本業にするという事は依存するという事で、一生見返りも、何も求める権利を失うというものだ。そんなものは活字だけで、文章の織り成す芸術だけで十分なのではないか?余計なものに依存していたら、愛想つかされる。文学の神様に愛想つかされてしまう。
いちいち、情の入れ方が深い。人間を嫌いつつ人間を好きと思って居る節がある。本当は人間と関わりたいのかもしれない。だけど、私という物体は限度というものをしらない。限度を知らないこの劣っている感情を活かすべきは、文字の織り成す云々だ。だからこそ、思ったことをここに書くことは素晴らしい時間の使い方である。そもそも、日本語という言語を母国語に持って生まれた事に感謝である。この言語の表現方法とか表現能力というものは他に類を見ない。私は本当に良かったと思う。精神とか誇りとか、そのようなものは正直わからないしわかりたくもないけれども、日本語という言語を失うという事は非常に惜しい。それは地球にとって。だから私は誰にも思いつかないような物語を書く人になる。という目標と全ての……をルッキズムやその他の持つべきではない自分が劣っているという感覚から脱却させること。人なんて嫌い。本当に嫌い。人のために何かをするなんて本当に嫌だ。と表ではそんな毅然とした態度をとりながらも、こんなにも熱い情を燃やしながら日々を通過しているなんて…誰が想像できようか。
この私の熱い思いに気が付く人は、きっと居ないだろう。もし居たとしたら、地獄もとけるほどの、無償の愛を捧げる事をここに誓おう。このように、人というものは…全く困ったものだ。本心では、生きていない(表向きに)場合もあるという事を肝に銘じておこう。と、他人と過度に関わることは良いことではないが、自分の軸と目標をしっかりと確率することで、更に素敵な時間になるだろう。真に命を燃やす。生きるとは命を燃やすことであり、今の私は、命を燃やしていないから、こうなっている。命を燃やしていないと余計な、(本当は余計なものなどなく、今、この瞬間も命を燃やしている)他人の事を考える時間は無い。目標も無いからこうなるのか…。目標のために、孤独の闇を進むのは、暗闇を進むことは、その間の陰りというのは、自分以外のものに惑わされるという劣っている性質と比べれば十分に耐えられるし、自分の事が好きになる方法でもある。
それでは、日本語という言語のために人には考えられない物語を世界に向けて発信するという事と、全ての……に向けた私の最大の愛のメッセ―ジを紡ぐためにできる事は何だろう。