「あなたにはわからない」は褒め言葉
『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』という本を教えてもらった。SNSや人間関係のモヤモヤを少しでも軽くするためのライフハック本だ。
さっと買える環境になかったが、Audibleのサブスク会員だと聞き放題のようだったので、とりあえず聴いてみることにした。
聴いているうちに、ちょっと関係ないことを考えてしまった。今回の記事はその話だ。
幸せ投稿は映画のハイライト
SNSのモヤモヤの4番とかそのくらいのところに、「他人の幸せ投稿が気になってしまう」といったものがあった。SNSあるあるだ。自分が大ハズレしたソシャゲのガチャのレアカードを出した報告とか、めちゃめちゃ羨ましい。
その節で紹介されていた気分を軽くする方法は、「幸せ投稿は映画のハイライトみたいなもの」と思うことだった。
どんなに波乱万丈な映画の主人公でも、成功場面を切り取ってハイライトしてしまえば、なんの苦労もなく幸せを手にしたように見える。本当のことは、わからないものだ。
たしかに、私が羨ましいと思うガチャの当たり報告をしている人も、別のときには大爆死しているのかもしれない。なるほど、幸せ投稿というものは氷山の一角というわけだ。
逆に考えると……?
と、ここまでは本の主旨に沿ったことを考えていたのだが、ふと、「これが逆だったら?」という思考が頭をのぞかせた。
つまり、「私から見た誰かの幸せ」が映画のハイライトなら、「誰かから見た私の幸せ」も映画のハイライトなのではないか?
「なんの苦労もしてないあなたにはわからないでしょうけど」
私は性格として、落ち込んでいる人がいると放っておけないたちだ。悩み相談に乗ったりして、最初のうちは良好な関係が築けているつもりでも、ひょんなときにそれが壊れることがある。
その代表的な例がこれだ。「なんの苦労もしてないあなたにはわからないでしょうけど」。会話を重ねるうちに、「なんの苦労もしていない」判定をされて、距離を置かれてしまうのだ。
突き放されて悲しい。この言葉にはそういう印象しかなかったが、もしかして。
「私からあなたは幸せに見えています」
なんの苦労もしていない、と言われる、ということは、少なくともその人から、私は「なんの苦労もしていないほど幸せに見えている」という表明でもある。
幸せに見えますか? 幸せです。ありがとう。
まあ、私にも人並みくらいの悩みや苦労があるわけだが、そういうのは他人に見せないほうがカッコイイと私は思う。だから、そういう擬態が成功していることが確認できてラッキー! と思うことにした!!