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引き寄せの法則と責任の所在

引き寄せの法則というものをご存じですか?
いわゆるスピリチュアル的な考え方で、「願えば叶う」というようなものです。
「似た波動のものは引き寄せあう」とか「ワクワクするほうを選ぶと幸せになる」とか言われていますね。

でもじゃあ、例えば「10万円欲しい」と願ったとしたら、その瞬間ボンッと財布が膨らんで10万円手に入れられるかというと、そんなことはあり得ませんよね。
知らない間に通帳の残額が増えているということもなくはないですが、それもあまり喜ばしいことではありません。
そのお金を使った結果逮捕された人が世の中にはいますし。(給付金誤振込事件とか)

しかし、「類は友を呼ぶ」ということわざがあるように、確かに「似たものを引き寄せている」と感じることもあるはずです。
一体何が真実なのでしょうか?
(以下、私論です。)

YouTubeを見ているとこんな動画に巡り合いました。

バイトの話なんですが、後半に責任の話が出てきます。
「無責任はどっちだよって話だから」の辺りです。

これを見て自分は「これって引き寄せの法則じゃん」と思いました。
どういうことかというと、「願いをコントロールするには責任の所在をはっきりと認識する必要があるのではないか」と思ったのです。

「願う」という行為は自分の責任です。対してそれを叶えるのは(願いによるかもしれませんが)基本的に他人の責任です。
例えば「10万円欲しい」と願ったとして、その願い自体は自分に責任がありますが、ポンと10万円くれる人が現れても、その行為の責任は「ポンと10万円をあげる」という選択をしたその人にあるわけです。
つまり、後から「10万円返せ」とか「(10万あげたんだから)便宜を図れ」などと言われても、それは完全に相手に責任があるわけで、「無責任だ」と罵られても「無責任はどっちだよ」という話なんです。
(現実的に考えるとノーリターンでお金をくれるような人には身の安全のためにもう少し警戒するべきですが。)

普通、理由もなしに人からお金をもらったら罪悪感を抱きませんか?
「すぐ返さなきゃ」とか「こんなお金使えない」とか思いませんか?
でも、そのお金にあなたが持つべき責任はありません。(法に引っかからない限り)
そこで「いや、私にはそれを受け取る価値はありません」と思うとあなたの願いは叶いません。
願うのは自分、叶えるのは他人。
もちろんすべての他人が願いを叶えてくれるわけではなくて、そこは相手の都合次第です。
しかし、世の中には一人くらい都合の合う人間が存在するものなのです。
なので、あなたが願いを引き寄せるためにするべきことは、「願いを発信する」こと。
それを受け取って叶えるのは、どこかの誰かの責任であって、自分ではないのです。

あなたは自分に責任を感じすぎてはいませんか?
もしそうならば、一度肩の荷を下ろし、本当に願いたいことを考えてみましょう。
それこそがあなたの果たすべき本当の責任なのです。


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