解っちゃいました!!

この記事は誰かの参考になるものではないと思いますが、それでも読んでくださる方は読んでみてください!ありがとうございます😊💕


「解っちゃった」
とは、何が解ったかと言いますと、『私がこの人生でやりたいこと』と『神様という存在』に関することです。

『私がこの人生でやりたいこと』の一部は既に私の中で伏線回収されていますが(子供時代・青年時代のこと)、現在&今後の人生についてはまだ解っていませんでした。




子供の頃、良く聞かれる質問で、
「将来の夢は?」
ってあるじゃないですか。
「将来の夢」と聞かれると、皆当たり前のように「なりたい職業」を答えるんです。
私はそれがずっと腑に落ちませんでした。なんなら「呪い」でもありました。

保育園の頃は周りの女の子が「看護婦さん」(今でいう看護師)と答えていて、私はそれを真似て「カンゴクさん」と言っていたようです。
(大人になってから保育園の頃の作文とかを見返した時に知った😂)

小学校に上がってからは、姉が絵を描くことが好きで「漫画家になりたい」と言っていて、私はそれを真似て同じように「漫画家になりたい」と言っていました。

中学になると「将来の夢」よりも「志望校」に重きを置かれ、私は適当に町内の高校を選びました。

私が通っていた高校は到底進学校とは言えない高校で、卒業後は町内や近くの町に就職する子が多く、私もその辺に就職するか、美術系の専門学校にでも行くつもりでした。
しかし、先生に猛反対されました。
「絵では食っていけない。お前の成績なら大学に行くべき。」だと。
先生方に説得されて、大学進学を選択しました。
正直その頃になっても「将来の夢(職業)」は自分の中で確固たるものは無く、大学進学すれば4年間のうちに何か見つかるかもしれない、という思いもありました。
「将来の夢」は無いよりはあった方が良いと言われ(たかどうかは覚えてないけど)、職業辞典みたいな本で「性格診断」→「向いてる職業」をピックアップしてくれるものを見て、「広告代理店」に就職したいと、周りに取り繕うための嘘(自分で思い込むための嘘でもある)をついていました。

そして大学を卒業した時の私の夢は「絵本作家」になっていました。
やはり「絵」は好きではあるのだと思いますが、これもまた確信の無いものでした。実際、未だに絵本の1つも完成させていません。
就職活動で「志望動機」に嘘ばっかり書くことに疲れ、「絵本作家になりたいからバイトしながら描くんだ」と周りに嘘(自分をだます為でもある)をつき、結局フリーターになりました。

……ここまでの人生は現在既に伏線回収されていますので、フリーターになったことも結果正解でした。


しかし、結局私は何がしたいのか、「将来の夢(職業)」という呪いに今日まで悩まされていたのです。

10月に新しい地へお引越しして、その町一番の神社へご挨拶に行った際に引いたおみくじ。

風吹けば
風ふく まゝに
港よしと
百船千船
うち つどいつゝ


何事も繁昌して心のまゝになるけれど
心に油断があってはならない
只今より来年の事をよくよく考えてやりそこなわぬ様
十分の注意をしておきなさい

「神の教」
神の心に叶うて居るか、物も心も使いよう
全てのものは神様から与えられたものである。
授けられた其の物、其の身体、其の心、決して無駄に使ってはならない。
其の手、其の足、其の言葉、世の為、人の為に役立つように使って居るか、常に顧みる事を忘れてはならない。
神様の御心に添い、人も物も適材適所を心がけ、力を存分に発揮させることが明るい社会の活力となる。

このおみくじの内容にずっと考えを巡らせていました。
「人も物も適材適所を心がけ」…
私の適材とは何なのか?適所はどこなのか?

で、ついさっき、解ったんです!
答えはずっと私の中にあって、ずっとその答えに沿って私は歩んでいました!!
どういうことかと言いますと…

私は何かを創作することがとっても好きなんですが、
今までは、それが仕事になる、仕事にしたいとは思っていませんでした。
私の特性として、何をするにも要領良く、大抵人並かそれ以上はパッとできてしまうのですが、それが悩みでもありました。
「誰にも負けない特化した何か」が圧倒的にありませんでした。
何が上手く出来ようが、もっと上手い人は五万といる。
いつもその考えに至っては一人落ち込んでいました。

それに、何かを創作した後、別のものに興味が移ってしまうのです。
同じものをずっと作り続けることができないので、仕事にしようもありません。

さらには、創作するものは私のオリジナルのものが絶対的に良いのです。
人とは違うものを作ること、世界に一つしか無いものを作ることにすごくワクワクするんです。

そしてあまり大きな声で言えませんが、私は何かを作った後、それを眺めてうっとりするのです。
私が描いた一枚の絵さえ、書いた文字の一つさえ、出した声の一つさえ、私から生み出た物全てが好きで好きでたまらないのです。(う○ちを除く)

このような特性があるにも関わらず、私は「将来の夢」という呪いに囚われていました。おまけに「他者との比較」という呪いにも。
(「他者との比較」は先日の記事にも書いたように、今年になって解けました。)

ヒントはカタカムナの中にもありました。
ひろの式カタカムナHPの第52句の解説の中にあった神様からのメッセージ。

仕事をするために生まれてきたものなど、偉大な発明家など、『世の中を変える使命』を持って生まれた、一部の者くらいだ。

なのに私がこの人生ですべきこと、人の役に立てることは「仕事」の中にあると思い込んで、一人で悩んでいたんです。
自分の「材」を活かせる仕事を自分がしていないことに悩み、ずっと探していました。
ついさっきまで!!

でもついさっき、解放されたんです!!
アマプラで「柚木さんちの四兄弟。」を観ていて、四兄弟がお互いの為にできることを精一杯やってる姿を見て感動して、その後ボーっとしていたら、
「自分が一番至福と感じる時間は、自分の創作物を眺めている時」だと、ふと気付いたんです!!
タイミングはなんじゃそりゃって感じですが😂
気付いてみれば答えは簡単でした。
今まで自分がしてきたこと、それこそが答えだったんです!!

今まで色んなものを創作してきました。
そしてそれをうっとり眺めてきました。
それで良いじゃん!それの何がいけないの!?
私が作りたいと思ったものを作ることこそが、私のやりたいことなんだ。
世の中に、自分で絵を描き、曲を作り、歌を歌い、小説を書き、木彫りのアクセサリーを作り、VTuberアバターを作り、映画を作り、自分の髪を自分で切る人が、一体どのくらいいるのだろうか?
私は根っからの『クリエイター』という自覚はありましたが、
実際は、『クリエイションジャンキー』でした!!

あ!!『クリエイションジャンキー』という造語も今作ってしまった!!!!✨✨✨

今まで作りたいと思っても頓挫していたものとかも、今後完成させる時が来るのかもしれないな…。

仕事とか関係ない。
他人も関係ない。
私が子供の頃、苦しみの大渦に飲まれていた時も、それが正しい道であったように、今の私もずっと正しい道を歩めていた!!
「やりたいことをしたいのに、やりたいことがわからない!」
と嘆いていた私は、やりたいことを既にしていた!!!!
眼鏡を掛けてるのに眼鏡を探す人のように!!!!👓
そういうところあるよね、私…。

結局自分で敵を作っていたんです。
「将来の夢(職業)」を手に入れられないと不幸だ…みたいな思い込み。
怖いね。
気付いてみたら「当たり前」とも言えるような答えだったのに、私の中の「思い込み」という枷がそれに気付かせないようにしていたんです。
そういう枷って現代人ならいくらでもありますよね。
お金がないと不幸。恋人がいないと不幸。人が持ってるものを自分も持っていないと不幸。みたいな…。
自分の中の不幸の思い込みにやっと気付くことができました。




そして、『神様という存在』について。

これは前述の私の気付きの中で得た副産物のようなものなのですが…。

先に述べたように、私は私が生み出したものを見てはうっとりするのですが、私が物を生み出すこと自体が私の存在意義であり、生み出されたものが私を定義付ける。という考えに至ったのです。
なんか小難しそうですが、「自己紹介」を思い浮かべてみてください。
「私はこうこう、こういう人間です。」
と、いくら述べたところで、その人の全てを表わせるわけではありませんよね。違う日に聞いたら違うことを言ってることだってある。
「私」という存在は常に変化しているし、一言二言じゃ言い表せないんです。
子供の私も大人の私も、どちらも「私」ではありますが、どこかを切り取って真に「私」だと言うことはできないのです。
「私」というものが結局何だったのか解るのは、亡くなった後。
人によってはそのもっと後かもしれない。(後世で評価された絵描きとか、語り継がれるような偉人とか)
私が歩んできた道、生み出したもの全てをもって、初めて「私」というものが解るのではないでしょうか。
あくまでも私の考えね。

そして、それは『神様』も同じかも!と思ったのです。
「私たちは神様の分身」とカタカムナにもあります。

第11句
イハ フトヤネ イキ ツチノワ  カタカムナ アマノヒトタマ  カミサキサトリ ニナ タマノ ワケツミ  イキ コトマリノ ワケヨミ
(意は 太矢の根 息は 土の環 カタカムナ 天の御霊 神が先に悟り 皆は 神の分身  息 事の始まりの 理由読み)

ひろの式カタカムナHPより

私たちが、神様から御霊や身体を分け与えられた存在であるならば、神様もまた物語の途中、ということになります。
私たちが終わって、全てが終わって初めて、『神様』が何なのか解るということですね。
私の予想では、全てが終わった時、神様とはめちゃくちゃシンプルで、めちゃくちゃドラマチックで複雑なものになりそうな気がします😌
想像もつかないですが😂

というかタイトルで「解っちゃった」とか言って、神様に関しては結局何も解ってないことが解ったというだけでした😂😂😂


また、神様が御霊を分けた時の気持ちを想像してしまいました。
私が絵でも文章でも、何かを生み出して眺めている時の気持ちと似ているんじゃないかなって。
「これは良く出来たな。可愛いな。素敵だな。」という自信と愛着のような気持ち。
神様もそうなのかもしれないと思うと、とても愛おしくて何故だか涙が溢れます。
神様が私たちを愛し、救おうとしてくれているというのも理解できますしね。
「神様すきぃいいいいいいいいーーーーー!!!!!!!!😭💕💕💕」
と号泣せざるを得ません。

この世の中のものは全部、縮図と拡大図の関係になっている気がします。
学校は社会の縮図。
国は世界の縮図。
そして人も神様の縮図なのかもしれません。

私はいつもカタカムナを詠う時、人々のお役に立ちたい、神様の意を理解したいとお祈りしていますが、
だから気付きのついでに神様の気持ちをちょっと教えてくれたのかな!?✨
なーんて!🤭✨
そうだったら良いな~!💃✨
そうだったら良いな~~!!💃✨



…という感じのことを、アマプラ観た後ボーっとしてる時とその後シャワー浴びてる時に思い巡らしたので、急いで忘れぬうちに記事に書いた次第です!(まだ夜ご飯も食べてない🍛)
とにかく私自身のことについてはすっごい気付きでした!!
神様ありがとうございます!!😭❤
読んでくださっている皆様にとっては「なんぞや~」という話だったかと思いますが…。

ではでは、ご飯食べます🍛
ありがとうございました!👋❤

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