見出し画像

神は、あなたの心を通してどのように語りかけるか?

どこで聞いた言葉だったのかは忘れましたが、
「神の言語に主語は無い。」という言葉が、私は好きです。
自分が発する全ての言葉は、
自分に向けられているのだと意識出来るからです。

それではYoutube「Sehnend」さんの動画からです。

あなたが右に曲がろうと左に曲がろうと、
あなたの耳には後ろから声が聞こえます。
『これが道だ。この道を歩め。』

Isaiahイザヤ 30:21

Introduction

人間の脳は、人類が知りうる中で、最も複雑な器官とよく言われますが、
これは自然の驚異の証であり、多くの人にとっても神の神聖なる作品です。
この複雑な神経細胞とシナプスの網目構造は、
単なる受動的な情報処理装置ではなく、
私たちの生涯を通じて適応し、発展し続ける存在です。
神経の可塑性、つまり新しい神経接続を形成することで
自らを再編成する脳の能力は、かつて信じられていた、
『幼少期を過ぎると脳は成長しない』という信念に反しています。
この柔軟性は、私たちが神から連想する無限の慈悲と適応性に似た、
生まれながらの恩寵を暗示し、二度目の機会、成長、救済を可能にします。
 

神との対話

時代を超えて、多くの人が脳を魂の座、
つまり私たち人間的存在と、神聖な存在との接点と見なしてきました。
ローマ人への手紙12章2節にこう書かれています。
「この世の型にはまらず、むしろ、心を新たにして自分を変えなさい。
 そうすれば、神の御心が何であるかをわきまえ、
 知ることができるようになります。
 それは、神の善で、神に喜ばれ、完全なことです。」

脳の力強い性質を考えると、進化し続ける脳の経路は、
神の言葉を受け取る役割を果たすのでしょうか?
もし神がその無限の知恵において、
ご自分に似せて人間を創造されたのだとしたら、
脳の変化と成長の能力は、
神ご自身の動きの本質を反映しているのかも知れません。
経験によって脳が形成され、再配線されるにつれて、
私たちは神の周波数により近く同調し、この神聖な神経の動きを通して
知恵と導きを受け取っているのではないのでしょうか?
 
ヴェーダ、トーラー、コーランといった古代の聖典は、
変身、若返り、知恵の絶え間ない追求といった内容と、
深く結びついています。
人間の脳の適応性、つまり変容し学習する能力は、
こうした精神的原則と一致しているようです。
脳が新しい道を切り開き、経験から学び、
心の傷を癒すことができるのであれば、
同じ器官が神の言葉を受信し、
理解するように設計されているのは当然のことです。
ラジオと同じように、適切な調整をすることで
受信が明瞭さにつながります。
同様に、神経の可塑性に助けられ、うまく調整された心は、
神の絶妙な放送の、完璧な受信機になるかもしれません。
 
もうひとつの興味深い側面は、
私たちの選択や環境が、脳にどのような影響を与えるかということです。
精神的に良い仲間を求め、
有害な影響を避けるように勧められているように、私たちの脳は、
私たちの環境と決断に基づいて、繁栄したり衰退したりします。
宗教的に言えば、知恵を求め、忍耐を受け入れ、愛を育むことは、
神への道となり得ます。
神経科学的には、これらの前向きな追求は脳を形作り、
私たちの神への旅は、精神的かつ知的なものである
という考え方をさらに強化します。
心を育てる選択を意識的に行うことで、神とのつながりがより明確になり、
洞察力や直感、目的意識の深まりとなって現れる可能性があります。
 

言葉と感情の持つ力

歴史を通じて、言葉は比類ない影響力を持ち、
世界の創造、文明の興亡、個人の運命の形成を証明してきました。
感情と本質的に結びついている言葉は、
癒したり傷つけたり、高めたり貶めたり、
結びつけたり疎外したりする力を、持っています。
このような言葉の重要性は、人間関係だけでなく、
精神の世界でも強調されており、
神とのつながりを促進する上で、不可欠な役割を果たしています。
ヨハネの福音書 1:1 でこう述べられています。
「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」
言葉と神との間のこの神聖なつながりは、
さまざまな信仰の伝統において明らかであり、
私たちが口にしたり、口にしなかったりする表現の神聖な本質を、
際立たせています。
 
言葉が伝える感情の深さは、私たちの神経経路を形作り、
言語、感情、脳の構造の間の深いつながりを強化します。
言葉が愛と優しさと理解のもとに語られるとき、
それは光の道を開き、私たちの心を神聖な共鳴へと導いてくれます。

反対に、悪意や軽蔑に染まった言葉は、
私たちの知覚を曇らせ、スピリチュアルな成長を妨げる可能性があります。
その結果、私たちが他人と自分自身の両方に対して行う言語の選択は、
神の受容の明瞭さを決定する上で極めて重要な役割を果たします。
前向きさと、優しさに満ちた言葉を選ぶことで、
私たちは神とのより深い交わりのための舞台を整え、
愛、思いやり、理解の周波数と共鳴するのです。
 
しかし、このつながりは単なる言葉の表現にとどまりません。
私たちの感情的な脳、大脳辺縁系は、
周囲の世界の影響を受けて、常に変化しています。
これらの感情は、つかの間のものであれ、永続的なものであれ、
私たちのスピリチュアルな受容性に、深く影響します。
私たちの感情の状態と、神との絆の関係は複雑です。
恨みや怒りに悩まされている心は、
神との対話に安らぎを見出すのに、苦労するかもしれませんが、
外的な状況に関係なく穏やかな心は、
神のささやきに、もっと楽に耳を傾けることができます。
私たちは、感情の起伏を管理し、内なる嵐を鎮めることで、
神の言葉を受け取るための心を整えるのです。
 
さらに、私たちの言葉と感情は絡み合い、
互いに影響を及ぼし合っています。
古代の聖典が抑制のない発言の危険性を強調しているように、
現代の神経科学も、
言葉が私たちの感情的な健康に与える影響を指摘しています。
暴言を吐きたい衝動に駆られたとき、
そのような言葉の影響は相手に限定されるものではなく、
発言者もまた、その矛先を受けていることを
思い起こすことが大切なのです。
そのようなとき、神の導きを求めることで、
状況を切り抜けるために必要な明晰さと自制心を得ることができます。
詩篇19:14における詩篇作者の願いはこうです。
「私の口の言葉と私の心の思いが、
 あなたの前に受け入れられますように。」

これは、私たちの言葉、感情、
そして神の恵みを求めることの、密接な関係を象徴しています。
 

適応、成長、そして神の導き

人間の脳の本来の適応性は、一般的に神経可塑性と呼ばれ、
生涯を通じて成長し、変化する大きな可能性を示しています。
この柔軟性は、進化と学習の能力だけでなく、
私たちの存在を支える、神の設計図を意味します。
信仰と神経科学の接点で、スピリチュアルな悟り、認知的成長、
そして最終的には、神とのより親密な関係への旅を導く神の計画を、
見分けることができます。
 
この旅の中心にあるのは、「原因と結果の法則」です。
これは、物理的な領域を超越し、
私たちの精神的な経験全体に響き渡る原理です。
この不朽の法則は、さまざまな宗教の教えの中に深く組み込まれており、
あらゆる行動、思考、感情が、
必ず、結果的な反応を生み出すことを暗示しています。
神経学的な観点から見ると、
私たちの行動、思考、感情は神経経路を形成し、
様々な傾向を再確認したり、新たな傾向をもたらしたりします。
スピリチュアル的にはこの法則は、
私たちに刻み込まれた神聖な責任を思い出させる役割を果たします。
優しさ、思いやり、愛の種を蒔くことで、私たちは魂を養うだけでなく、
神の祝福と導きを、私たちの人生にもたらします。

 
「適応の法則」は、経験に応じて変化する脳の素晴らしい能力を
さらに際立たせています。
この本質を巧みに捉えた 2つの古いことわざがあります。
「賢者と歩む者は賢くなる。」
「短気な人と友達になるな。怒りっぽい人と付き合うな。」
これらのことわざは、
特定の刺激や環境に継続的にさらされると脳の配線が変わり、
知覚、感情、行動に影響を与える
という神経学的真実を反映しています。
神の立場から見れば、これらのことわざに要約されている神の導きは、
私たちを前向きな影響力で囲むように促し、
それによって私たちの精神的な成長と進化を促進します。
 
これと密接に関連するのが「選択の法則」です。
これは私たちが生まれながらにして持っている、
運命を切り開く力を主張するものです。
意識的であれ無意識的であれ、あらゆる決断が私たちの神経経路を形成し、
結果として人生の軌跡を形作ります。

しかし、この法則のスピリチュアルな側面はとても深いです。
神は私たちに自由意志を与え、神の目的に沿うような、
あるいは逸脱するような選択をする力を与えてくれています。
選択のたびに、神の教えに共鳴する道を選んで神に近づく機会もあれば、
一時的な快楽に誘われて道を踏み外す機会があります。
この『選択』という神聖な恩恵を認識し、それを賢く行使することで、
より豊かで精神的に満たされた人生を送ることができます。

 
人間の脳の成長能力は、神経経路に留まらず、
樹状突起の成長や、新しい脳細胞の発生にまで及びます。
このような脳の驚異は、絶え間ない学習と自己改善によって
神への理解が深まる精神的な旅と並行しています。
聖書に関する知識であれ、学問に関する知識であれ、知識の追求は、
私たちを包み込む神聖な神秘を探求したいという、願望の証となります。
 
新しい神経細胞の誕生である「神経新生」の概念も、
スピリチュアルな共鳴を引き起こします。
脳が若返りと成長の可能性を秘めているように、
魂もまた、再生を遂げることができるのです。
神の慈悲と赦しは、私たちが過去の重荷を捨てて
再出発をするための救済の機会を与えてくれます。

この神の恩寵は、私たちが本来持っている適応能力と結び付き、
個人的かつ精神的な成長の無限の可能性を物語っています。
 
しかし、この成長にも課題がないわけではありません。
脳と魂はともに外部からの影響を受けやすく、
気を散らすものや、誘惑をうまく切り抜けるには意識的な努力が必要です。
ここで、「転換の法則」が洞察を与えてくれます。
この法則は、特定の願望が達成不可能に思える場合、
脳は他の取り組みに焦点を向け直すことができるとしています。
スピリチュアル的には、この法則は、閉ざされた扉に直面したときでも、
神は多くの場合、機会の窓を開いてくれることを思い出させてくれます。
1つの道が妨げられているように思えても、
神の導きによって別の道が明らかになり、
それぞれが独自の教訓と成長の見通しを与えてくれます。

 
さらに、脳の発達における 「衝撃 」という概念は、
成長を促す強烈な体験であり、
私たちの魂を磨く試練や苦難とよく似ています。
断食、激しい肉体トレーニング、
急激な温度変化が、脳に刺激を与えて成長させるように、
人生の試練は、神の定めや許しによって、
私たちの信仰心、回復力、人格を磨く試練となるのです。
これらの法則-原因と結果、適応、選択、転換-が絡み合うことで、
神経学的にも精神的にも、人間の経験の全体像が描かれます。
複雑な経路と驚異的な適応力を持つ脳は、
神の壮大な設計の証明となっています。
同時に、私たちの存在を支配する神の法則は、
私たちをスピリチュアルな上昇へと導く道しるべとなるのです。
 

Conclusion

人間の心という広大な宇宙において、
神との対話の可能性は深く、また十分にありえます。
脳の仕組み、その適応性、言葉や感情の力を理解することで、
こうした神の言葉を読み解く道が見つかるかもしれません。
脳の複雑さと驚異は、スピリチュアルな洞察と織り交ぜられ、
科学と信仰が対立するのではなく、
むしろ調和のとれた愛の物語として展開し、
お互いを豊かにする宇宙の姿を描き出します。
偶然による新たな発見であれ、適切な瞬間に語られる言葉であれ、
あるいは混沌の中の沈黙であれ、
神は常に語りかけているのかもしれません。
重要なのは、耳を傾けるために
私たちの心と魂を微調整することにあるのです。


この変容の旅でお会いできて光栄です。
今、ここに存在して頂き、ありがとうございます。

いいなと思ったら応援しよう!