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星に感謝をしていたら。
この話、私の中では「どこかに書き残しているはず」感がとてもあり、
デジャヴ感が半端ないのですが・・書いていました?
2014年のある日、ふと
「太陽系の惑星たちに感謝していたら、何が起こるだろう?」と思い立ち、毎朝の神棚での祝詞奏上後に太陽系の惑星の一つ一つを思い浮かべながら、
感謝をしていたことがあります。
或いは、夜空に月や星を見かけては、
「そこに存在して頂いてありがとうございます。」と
心の中で呼び掛けては、感謝をしていました。
その頃は、宇宙や天体物理関連の本が好きで読み漁っていたので、
なんとなく『太陽系の惑星や月が存在しているお陰で、
地球に生物が存在できているのだから、感謝しなければ!』
的なノリで始めたのだと思います。
その後、私の世界には、今まであまり縁が無かった占星術や、
新月の願い事、満月での感謝などといった知識が入ってきました。
そうして入ってきた知識が、
色んな事を教えてくれますし、導いてくれます。
そして更に、太陽系の惑星たちが、
重要な役割を果たしているということが起きてくるようになりました。
たくさんありすぎて、何を例えに取り上げようかと思っていたところ、
なんとなく思いついたのがこちら↓
自分が意識しているものが、
自分の世界でどんどん存在感が増していく。
逆に、TVや新聞を見なくなると、
私の世界では、それらの価値がどんどん低下していきました。
自分の世界に存在させたくないものは、
縮小して観察するか、目に入らないようにしていく。
逆に、自分の世界に存在して欲しいものにどんどん意識を集中していく。
そうすることで、自分を取り巻く世界を変えていくことが出来ています。
そういう意味では、全ての行動が推し活になります。
栄えて欲しい存在やモノに力を注ぎ、
そうでは無いものは、存在させないか概念を変えていく。
私たちは、この社会にとって都合の良い駒になるように、
自分たちの形を変えられてきましたが、
もうそれは役に立たなくなってしまいました。
私たちが本来の自分の形になることで、新しい世界が組み立てられていく。
その過程が、
本来の自分が生きやすいと思える世界を創造していくという
役割なのだと思います。
今、私は昼間にも、
雲や青空のなんとなく気になった部分に向かっても感謝しています。
そしたら何が起こるのだろうか?
この作用には、どういった反作用がもたらされるのだろうか?
外の世界だけではなく、自分の中の世界にも。
第三の目に感謝、そして腸内細菌に感謝!
そして今日、この話を読んでくださった方に、
「存在して頂いて、ありがとうございます。」