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憧れのナイトサーカス

「おとうさんに、いつサーカスに連れて行ってくれるの?って、聞いておいてくれない?」

私は、35年ぶりに会った幼なじみを目の前にして、その気恥ずかしさを誤魔化すように唐突な言葉を口にしていた。

「え?そんな話になってたの?」

彼が驚いて聞き返してきたが、すぐに周りの賑やかさにかき消されてその後の話はうやむやになってしまった。

中学校の同窓会。

この度統合されることが決まり、閉校となる母校に最後もう一度集まって校舎見学会と親睦会をしようということになって、同窓会が開かれていた。

その中で、私は小学校からの幼なじみと久しぶりに再会したのだ。

山間の集落に暮らしていた私たちは、小学校の入学時、同じ学年には私たち2人しかおらず、学校までは毎日スクールバスで通っていたので、彼とはいつも一緒に登下校していた。

私にとっては心細い小学校生活の、唯一の味方であり仲間であり心強い支えだったと思う。

そんなある日、昇降口の前でバスを待っていると、彼のおとうさんが車で迎えにきていることに気づいた。

彼はまだ教室から出てきていないようだったので、挨拶をしようと車に駆け寄って行った。

すると、おとうさんも私の姿を見つけて車から降りてきてくれた。

「こんにちは!今日はお迎えなんですか?」

そう口にした途端、私は自分の言葉でなんだか急に不安になった。
今日は一緒にバスで帰れないのかもしれない、そう思った瞬間、1人取り残されたような強い寂しさを感じたんだと思う。

「今日はね、家族でサーカスを見に行くことにしてるんだよ!」

おとうさんは気さくな優しい笑顔で、楽しそうに教えてくれた。
それを聞いて、私はどんな顔をしていたのだろう。
どんな言葉を発したのかさえわからない。
もしかしたら涙ぐんでいたかもしれない。

でも、これだけは分かる。
そんな私を見かねて、彼のおとうさんは最大限に優しい言葉をかけてくれたのだ。

「あぁ、ごめんね!もう一枚チケット買って一緒に連れて行ってあげれば良かったなぁ!今度行く時は一緒に連れて行ってあげるからね!」

おとうさんは私の頭にポンポンと手を乗せると、顔を覗き込むようにしながらそう言った。

ふと、うしろから慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえて振り向くと、彼がランドセルもろくに背負わないまま、弾むようにして私の横を通り過ぎると、おとうさんのほうに駆け寄っていった。

「さあ、行こうか!それじゃあまたね!」

おとうさんは、彼と私にそれぞれ声をかけると、急ぐように運転席に乗り込んだ。

「バイバーイ!」

大きな車の窓から、小さな彼が嬉しそうに手を振る姿がどんどん遠のいていく。
1人ポツンと取り残された私は、いつの日かあの車に乗せてもらってサーカスに行けるんだという思いを抱えながら、去っていく車をいつまでも見送っていた。

そして今。

あれから40年以上も経ってしまった。
それほどの月日が経っているというのに、ましてもう子どもではない、むしろ人生の半分も生きてきたというのに、久しぶりに会った彼を前にして、私の心に思い浮かんだのが、この「サーカス」だったことに驚いた。

そして、まだあの場所に取り残されたまま、サーカスに連れて行ってもらえる日を待っている自分がいることに、そしてそれを久しぶりに会った彼に伝えていることにも呆れていた。

でも、すぐに思い直した。

いやいやいやいや、いまさら一緒にサーカス行こうかと言われたら行くのか?

そういうことじゃない。

私だって本当に連れて行ってもらえるなんて思っていない。
ちゃんと気付いてる、分かってる。

じゃあ、この気持ちはなんなんだろう。
そう思った時、私にとってのサーカスとは、突然の出来事に心が追いつかない時の大事な希望だったんだと気付いた。

苦しい時、悲しい時、どうしても避けられないようなことが起きた時、そんな事があるたびに私は心の中で思っていたに違いない。

(大丈夫、だって私はいつかサーカスに連れて行ってもらえるんだから)

実際、この時のことはこれまで何回も何回も私の頭に浮かんでは消え、消えてはまた思い出すを繰り返してきた。

今思えばそれはいつだって、私にとって苦しい瞬間だったのかもしれない。

幼少期の、寂しさと希望が混在したあの出来事が私の中にトリガーを生み出し、寂しさが溢れ出すたびに、それを抑えるための制圧剤として、まだ見たことのない煌びやかなサーカスの世界が心の中にジワリとしみ出す仕掛けだ。

私はそうやって、彼のおとうさんが何気なく口にした言葉で今まで何度も救われてきたんだと思ったら、なんと幸せなギフトだったことかと本当に嬉しくなった。

そして今もやっぱり私の心には、まだ見たことのない未知の世界へのドキドキと共に、夢と希望でふくらんだサーカスのテントが張られていて、決して叶うことのない約束が、それでもいつかいつかと私を待っていてくれるのだ。

暗闇の中に突如現れるサーカスのテントは、その場所をいつもとは違う世界にしてくれる。

きらびやかでワクワクした、夢の世界。

夢や希望は、叶えるためにあるのではなく、今の私を動かすためにある。

たとえ、その夢や希望が叶わなかったとしても、ふと自分を見つめ直した時に今の私も悪くないなと思えたら、それはもう夢や希望のおかげなのだ。

私はサーカスに助けられた。
あの日のサーカスという言葉に。

そして今、私もそんな言葉や作品で、誰かの希望になれる人でありたいと、そう願っている。

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