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あの頃の私と私。

TwitterのTLを眺めていたら、#FFFFFF のタグをつけて、お題を決めて、交換ノートのようなことをしようと声掛けをしていた。あ!面白そうだなと見ていて、まずは私があげたお題で書いてみた。


#学生時代に夢中になった事

学生時代と言ったら、頭の中に浮かんだのは中高時代の私。中高時代は最高に楽しくて、毎日お腹が痛くなるまで笑っていた。大事な宝物だし、中高時代の友達は今でも仲良し。

そんな学生時代の私が夢中になっていた事といえば、ダンスだった。


小学生の頃、SPEEDが人気で、多分に漏れず、私も好きだったし、憧れていた。おそらく同世代女性がほぼ該当すると思うけど、SPEEDのWhite Loveのサビ振りは今でも踊れる。

そんなSPEEDに憧れていた私が中学で入学した学校にダンス部があって、絶対ダンス部に入る!!!と、他の部活には目も暮れず、ダンス部に入部した。

初めて自分の強い意志で選んだ道だったように思う。

幼少期はバレエ、ピアノ、水泳、体操とかよくあるお稽古事をさせられていた(今思うと気持ちはわかる)のだけど、正直あまり楽しいと思っていなかった。時には親に怒られて、泣きながら通ったこともある。結局色んなお稽古事を長く続けられない子供だったから、実は部活もすぐに辞めてしまうのではないかと親は心配をしていたらしい。

私の通った学校は中高一貫校で、部活は高校生も一緒に活動していた。部活の序列としては、1番トップは高2(高3は受験があるので不在)で、中1の私にとっては、高2の先輩はめちゃくちゃ大人でかっこよくて綺麗で可愛くて、とにかく憧れだった。
ダンス部は年に一度の文化祭でダンス講演を披露する機会があって、それを高2が構成、振り付け、照明、衣装全てを取り仕切るのが伝統になっていた。なので、文化祭の出来栄えはその該当する年の高2のセンスが物を言ってしまうのだけど、当時の先輩の講演はとても素敵だった。もはや先輩はアイドルのような雲の上の存在でSPEEDに代わり、新たな憧れの人となった。社会人になって、偶然カフェで先輩方に遭遇した事があって、ドキドキしすぎて、死にそうになりながら、挨拶に行ったんだけど、緊張しすぎて、しどろもどろだったと思う笑。あれはもう中1の私だった。

私も先輩みたいにかっこよくダンスが踊りたい!!!!!!!!!!私も高2になったら、最高な舞台をやり遂げるんだ!!!!!!!!!!

真っ直ぐでピュアなこの想いから私は卒業までダンス部として活動することになる。

バレエをやっていたとは言え、ダンスは未経験だった。上手な子は本当に上手で、私も上手くなりたい、いつかかっこよくセンターで踊ってみたいと思っていた。柔軟性を得るために、家でストレッチしたり、基礎練のターンをやってみたり、暇さえあれば、憧れの先輩の講演映像を観たり、海外アーティスト系のMV(britney spearsやbeynoceが好きだった)を何度も観ながら、振りを真似していた。学年が上がるにつれて、自分達で振り付けを考える機会があったので、手を挙げて振り付けをする担当になってみたり、下手くそながらにも果敢にチャレンジをして、文化祭でも出演する演目が増えていった。段々と振りを覚えるスピードもあがり、身体の使い方もわかるようになってきた。上手く出来なかった振りが出来る様になったり、揃うようになって、完成度が上がると凄く嬉しかった。

そんなこんなで、私も遂に高2になった。入部当時は約20人はいたのだけど、気がついたら、10人になっていた。ずっと憧れていた世代の先輩と同じ人数でちょっとドキッとしたのを覚えている。

私も先輩みたいになれたのかな。

同じ学年のメンバーは、それぞれ個性的で可愛くて、とても好きだった。下の学年には大変申し訳ないのだけど、高2が主役の舞台を作りたくて、いかに自分たちが目立ち、自分たちを輝かせるかを考えていた。
それぞれ同じ学年メンバーの一人一人の良さを出したくて、私の作った演目はその傾向が強かった。衣装も振りも全部。本当にやりたいことを盛り込んだ気がする。一応部活だから、予算があるんだけど、生地問屋で電卓叩きながら、予算オーバーするのに、この生地がいい!高2だけなら良くない?!とか言って、結果買ったり笑。妥協しなかった。当時は親にもかなり協力してもらいながら、あの時の私が持てる全てを注いだ。授業中にも構成や振り付けを考えた事もあったし、修学旅行でも集まって、隙間時間に練習をしていた。

とにかく最高の舞台にしたかった。

やりたいことが明確になっていて、情熱を持ってやっていた。学校の部活とは言え、仕事の基本すらもやっていたと思う。

プロジェクトという名の文化祭の講演、コンセプトを決めて、曲を選び、衣装を考え、振り付けを考え、照明を考え、振りうつしをして、練習をする。今考えるだけでも、やることは山積み。スケジュールとタスクの設計管理が重要で、それぞれ協力し合わないと実現できない。1曲ならば、まだしも、講演だから10曲以上あった。よく10人でやり遂げたなと思う。

そして、何よりも度胸がついた。大勢の人の前に立つので、緊張はするのだけど、何がなんでもやってやるという精神で挑んでいて、不思議と舞台に立つと緊張が解けてきて、次第に楽しくなってくる。

プロのように上手なわけではないし、バブリーダンスの高校みたいに大会で優勝目指すというレベルでもなかった。
だけど、とにかく楽しくて、作りたい、やりたいを形に出来たのがダンスだったし、部活だった。

憧れから始まり続けてきたけれど、最後には自分達の学年らしいものを作りたいに発展していって、まさに夢中だった。それだけの為に自分の命を使っていたと思う。

あの頃の情熱って、どこに行っちゃったんだろうな。

キラキラと眩しい宝物のような私を前にして、仕事でもあの頃と同じような気持ちで取り組めたら、全然違うだろうと思った。

最近、大事にしていること×自分ができること×誰かの為になることってなんだろうと考えている。つまり、情熱を持って、夢中になれる仕事ってなんだろうって。少しずつでもやってみたいことを実現していこうと試みながら、今、答えを探している。私はいつかそれを仕事にしたい。

実はやっと仕事で興味があることに関わることが出来始めて、楽しいと感じている反面、何かが足りないというか、モヤがかかった状態にまだある。自分の意思で異動をして掴み取ったので、見失いたくないし、もっと自分との向き合いをしっかりせねばと思っている。

幼少期は嫌々お稽古事をしていたけど、楽しいと感じられたら、きっと続けていた気はする。中高時代を振り返ってみて、自分のやってみたい!楽しい!という気持ちに従うって大事な事だなと思った。もしも子供を持ち、育てる時が来たら、本人の意思を尊重したい。子供を想って、無理に色々やらせてしまうかもしれないけど、やりたいと言ったら、何でもやらせてみて、楽しくないと感じていたら、無理に続けさせないようにしたい。

10代はキラキラしていて、眩しい。だけど、それが過ぎ去ったら、ずっと暗い人生みたいな生き方は嫌だとも思った。
社会人になって、色んな事に見てみぬフリをして、蓋をして、キラキラを失ってしまったと思う。私は30代になってしまった。人生はあっという間だなと思ってきた。幸いにも健康でこれからも生かされるような気がするので、せっかくならば、人生を明るく楽しみたい。

ちなみに、ダンスは今でも好きです。youtubeでプロのダンサーさんの動画をよく見るし、ダンスの上手なアイドルやアーティストのパフォーマンスが好き。上手だな、この振りカッコいいなと思いながら、たまにあの頃の私が顔を出して、テレビ画面を前に真似して踊ってみたりもしてる。好きな曲を聴きながら、こんなパフォーマンスが出来たらいいなとか、振り付けするならばこんな感じがいいかなとか妄想もしてしまう。

学生時代に夢中になった事を振り返っていて、何が楽しかったって、私はダンスで自分で考えた世界を形にする、表現する事だったんだなと思った。形は違うけれど、noteを始めたのも何か形にしたい、表現したいと思ったのがキッカケで、通ずるものがある。

どうやら私は、あの頃の私であり、今も私なんだ。

って思えて、ちょっぴり嬉しくなった。

茉莉子さんのブログには色んな方からのお題アイディアが並んでいて、他にも書いてみたいことがある。Twitterで、#FFFFFF を辿るといろんな方のブログが出てくるので、オススメ。何かしらの経験からの内容だったりして、人柄が伝わってくるし、それに共感をしたり、新しい視点が見えたり、価値観の共有になって、とても面白い。

#FFFFFF #部活 #ダンス #学生時代 #気づき



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