
不登校の友だちもいることを、まだ忘れていない君へ。君が奪われた最後の十数歩。彼女が取り戻したい再度のもう一歩。
つい数日前まで、
クラスのみんなと同じ方向を向いて、
席を並べていた君。
君が少し前まで思いもしなかった、
学校という場所でみんなといつものように過ごすはずの
最後の日々を奪われてから、
今日3月9日で1週間がたった。
7日前、君は本当に悔しくて、涙も流れただろう。
この生活への一週間分の慣れは出てきたとしても、
まだしばらくは、
やっぱり不安や焦りや喪失感を抱えて過ごすことになるかもしれないね。
でも今、少しは落ち着いて涙も乾かすことができたかな。
今日は、多くの人が、
レミオロメンの「3月9日」
を思い出すという。
君も、3月9日のまさに今日か、
特別な日までのどこかで、
ヘッドフォンでもう一度歌詞を読み返しながら聴いたり、
お母さんに「だめ!」って禁止されているカラオケ屋さんにみんなと行って、
一緒に歌ったりするのかな。
『 瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう 』
(レミオロメン・3月9日より引用)
君のまぶたのうらには、
今回の出来事で、落ち込んだ君をサポートしてくれたお母さんたちや、
先生や、仲の良い友だちや、彼氏や彼女や、
憧れのアーチストがいたりするのかもしれないね。
もし君も
この3月に
誰かのまぶたのうらに、
いるようになるとして、
それは、もちろんさっきの誰かでもいいのだけれど。
この大変な中で、
大人たちにも忘れられそうになっている、
まだ学校に来たいけど来れていない彼女。
本当は一緒にいろいろな時間や感情を
共有していたかもしれない、
優しい君が時々、心の端に気になっている彼女。
もし、君自身の、
心の機微や、
信条や、
こうありたいという気持ちに、
逆らわないのであれば、
3月の風が吹いている間に、
少しだけ、勇気を出してほしい。
僕は、これまでの仕事で、
数多くの、学校にいけない彼らや彼女らに接してきた。
彼らの自宅でサポート中、たまたま、気にかけて会いに来てくれるクラスの友達と居合わせた事も何度もあった。
時には、追い返されるように帰っていったクラスの友だちを見送った彼らや彼女らが、
表面上はどんなにとりつくろっても、
実はものすごく救われていたのを知っている。
いまは大変な時だから、
人にかかわるには、
いろいろな障害がある。
配慮も必要。
工夫も必要。
ただ、他の誰かじゃなく、
大人じゃなく、
君が、
少し気にかけてくれて、
少し行動に移してくれて、
少しでも彼女に何かが伝わったら、
もし彼女が照れ臭さで、その瞬間、そっけなかったり、
反発の態度だったとしても、
君がいることで、
どれほど強くなれるでしょう。
ご両親や先生たちが、
君が失った予定を埋めてあげようと
一生懸命、団結して愛情でお膳立てしてくれる、
それに感謝をして受け取るのは素敵な事。
ただ、それに加えて、
本当の主役である君が、
たとえ地味でも、ほろ苦くても、手探りでも、
誰かのまぶたにのこる、
いろんな色違いのつながりを
ひとつでも多くつくってほしい。
みんなにとって卒業式は、
年月を経ながら、思い出すときに、
各々によって、少しずつ、
その前後の日も含めて、
自分だけの印象に残るシーンは違ってくる。
卒業式の日にどんなことがあったのか、
お父さんとお母さんに聞いてみてごらん。
20年前を思い出すのって、案外むずかしい。
でも、あの時、あのつらい時、
勇気を出して、声をかけてくれた。
マスクをして、窓越しに、
「待ってるよ」
とだけ、言いに来てくれた。
そのことは、20年経っても、
ぜったいに忘れない。
ふたりとも。
文と歌。umepink