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流れるままに生きる、その②

上京して8年、カメラショップ、写真事務所を経て、とりあえずフリーランスで写真を一年、そして南青山にあるデザイン事務所へ就職しました。

デザイン事務所は表参道の交差点の近くで大きいマンションの一角にありました。当時(80年代)は表参道は落ち着いた雰囲気で、よく自宅まで歩いて帰りました(日曜日は歩行者天国になり、竹の子族などでにぎやかでした)

事務所では同年齢のデザイナーたちと面白く遊んでいました。昼はコーヒー屋でインベーダーゲームで夢中になり、夜はみんなと飲みにでかけたり、休日は野球チームをつくり草野球三昧でした。仕事より遊ぶことが大部分を占めていました。(相手は青山通りにある大坊珈琲店のチームでした)

青山墓地の近く、外苑前の奥に区のグランドがあり一か月に一回ほど他の草野球チームと対戦していました、そのあとは、もちろん飲み会です。外苑前の交差点に青山ベルコモンズのビルのなかにビアガーディンがあり、かならず祝杯(ほとんど負けてた)を上げていました。帰りは外苑の交差点の角にあるハーゲンダッツのお店でアイス食べるパターンでしたが、なんとなく、流されているなあ~~と常に思っていたが楽しい毎日に満足してました。(当時、なんとなくクリスタルがベストセラー)

事務所のボスはデザイン界で著名な人で写真にもきびしく、なかなかOKがでないことがほとんどでした、1カットのため徹夜は当たり前でした。仕事的には前向きな姿勢で頑張っていました(もともと上京の目的がカメラマンで大成すること)。自分で、頑張っている自分をほめていました。写真に関しては流されてはいなかったです。

ところがある作家さんの本に出会ったことで日常が劇的に変わりました。

つづく。

〇 巣ごもり生活でテレビドラマにはまっています。

日テレ、「正しいロックバンドの作り方」4人の若者が、夢に一生を捧げられるほど技術もなければ、自信もないそれでも、毎日夢を追い続ける、ストーリです、たしかに未来は未知数です、やり続けなければわからない。以前聞いた話ですが、カメラマンになりたいのですが、どうすればなれるのですかの問いに、カメラマンになれるやつがなれる。禅門答ですが真実です。



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