避けては通れぬ「ありがとう実験」を遂に実施!【科学か擬似科学か】
「ありがとう実験」をご存知でしょうか。
賛否を巻き起こした書籍『水からの伝言』で紹介されたのが、おそらく初出となる有名な実験です。
瓶に詰めたごはんを複数用意し、ひとつには「ありがとう」、別のものには「ばかやろう」ということばを1ヶ月かけ続けたら、それぞれ異なる状態になったというのです。
同様な実験動画はYouTubeにも山のようにアップされています。
おおむね類似の結果が出ているようですが、人気YouTuber水溜りボンドさんが実施した「ありがとう実験」では真逆の結果になっています。
「ありがとう」を唱えて10ヶ月、近々14万回になろうというぼくも、これは試さなければなるまい、ということで遂に自ら実験をば、というわけです。
ちなみに、この実験、昔から耳にしたことはありましたが自分で試す気にはならずにいました。
そもそも小林正観さんが提唱していた「ありがとう習慣」にさえ当初懐疑的だったので、ましてそれをお米で試してどうなる、という感じで、まったく眼中になかったわけです。
しかし「ありがとう習慣」を実践し、いわば「自分」に「ありがとう」という言葉を聞かせ続けた結果として、その効果を実感している今、やはりこれを避けては通れません。
『水からの伝言』では、水に様々な文字を見せた上で凍らせた結晶を観察したら「ありがとう」の場合は均整のとれた美しい結晶に、「ばかやろう」の場合は歪んだ結晶になりました、という衝撃的結果がレポートされています。
この内容は「だから綺麗な言葉を使うのが大切ですよ」といった文脈で当初、学校教育にも積極利用されたそうですが、科学者たちから「擬似科学を教育に使うとは何事だ」と猛反発が起こり、やがて表舞台で取り沙汰されなくなりました。
『水からの伝言』は擬似科学なのか?
「ありがとう実験」は偶然や思い込みが招いた誤認なのか?
先に言っておくと、ぼくは「判断留保」の立場です。
ぼくはもともと唯物論者で、ただ当たり前のように今も科学的思考を受け入れている人間です。
「スピリチュアル」を冠するアカウント名を持つに至った今でも擬似科学と呼ばれる類のことを無批判に信じ込むようなことはありません。
かといって「そんなの常識的に言ってあるわけないよ」とも思いません。
単なる伝聞情報ですので「判断留保」のままが賢明な態度かなと思っているのです。
たとえ、どんな偉人や有名人が主張していようが世間で常識とされていようが、そんなことが「やっぱり間違いでした」なんて引っくり返ることは日常茶飯事ですし。
ちなみに『水からの伝言』に対する反論サイトにも、おおむね目を通しています(ググってみてください。かなりしっかり論稿されています)。
これらの感想を簡単に付記しておくと3点です。
『水からの伝言』不支持派反論の主軸は科学者・中谷宇一郎が60年以上前に提唱した『中谷ダイアグラム』という氷や霜の結晶に関する作成方法・法則です。
それによると『水からの伝言』の実験方法で生じた”水の結晶”はシャーレの上の氷にくっついた空気中の水蒸気に過ぎない。
それゆえ見ているもの自体が、そもそも言葉を浴びせた水が結晶になったものではないのだ、という主張です。
これには少なからぬ説得力がありますね。
一方で別の科学者によって『水からの伝言』の信憑性を補強するような実験結果も近年出てきているようです。
そのひとつがワシントン大学生物工学科のポラック教授による「水には第4の相があり、情報を記憶できる安定的な構造を持つ」という主張。
またノーベル賞受賞者でもあり、近年物議を醸しながらお亡くなりになったリュック・モンタニエ博士の「希釈したDNAは水と水の間でコピーされる」という主張ですね(しかし、このモンタニエ博士のWikipediaページはあからさまに中立性を欠いた文面なのが、かえって興味をそそるなぁ)。
しかし、この『水からの伝言』の提唱元から、いまだに再現性を担保した実験結果が発表されていないようであるのが全てを物語っているようにも思えます。
おそらく、この「ありがとう実験」は再現性が確認あるいは確立されていないのではないか?
YouTubeにアップされている動画群も「期待する面白い結果」が得られなかった場合は「ボツ」となるため、同じような傾向の動画ばかりになっている可能性も否めない。
しかし、これとてぼくの勝手な憶測です。
なので、やはりここは自ら実験して白黒はっきりさせてみんべ、というわけです。
仮に「ありがとう実験」で提唱された内容が科学的に誤りだったとしても、それによって「ありがとう習慣」でぼくが実地に得ている体感が消えてしまうわけでもありません。
一方、当初は懐疑的に思っていた「ありがとう習慣」に劇的な効果を実感できたことが、この実験に対する興味を喚起した側面も大いにあります。
もしかすると両者は同じ仕組みによってつながっている可能性だって否めない。
というわけで、前置きがかなり長くなりましたけど
下記が今回実施した実験です。
「アリが問う」とは「ボクシング世界チャンピオンのモハメド・アリが問う」という場面をイメージしています。
たとえばモハメド・アリが「ワチャネーム?」とか「ハウマッチ」とか「パードン?」などと問う場面をイメージしつつ
「アリが問う。アリが問う。アリが問う。アリが問う」
と、1分間ぬか床に唱え続けるわけです。
やー、なんてキケン極まりない実験なんでしょう。
ご近所さんに目撃でもされたら「え!? え!?」と混乱の嵐を巻き起こした挙句、恐怖に震え上がらせる恐れなきにしもあらずです。
一方、うちの家族はもうすっかり慣れたもの。
「えー、また『ありがとう』やるの?」
「しかも今度は実験??」
奥さんはこの手の話にはありがたいことに今でも一歩引いた冷めた眼差しを維持してくれているので、ぼくのちょうどいいブレーキです。
おかげさまで、ぼくが暴走せずに済んでいます(済んでいますかね? もうすでに暴走していますかね??)
うちの子は、この手の話は面白がって乗ってくることもあるのですが近頃は徐々に大人びつつあるので、
「パパな、ぬか床に『ありがとう』って言ってみようと思うんだよ。味が変わるかもしれないだろ?」
なんて言おうものなら、
「あーうん、そうなんだ。ファイト♫」
などと、あからさまに煽ってくることもしばしばです。
時折「そっか。ドンマイっ♫」と、どこで覚えたのか昭和風の励まし方で煽ってくるのも地味に心にこたえます。
さて去る12月下旬。無印で、ぬか床を三つ購入。
約3000円の出費(結構するな〜)
ちなみに、これまで「ありがとう実験」を実施するに踏み切れなかった理由の一つが、
「ありがとう実験は食べ物を腐らせてしまい、最後食べられなさそうな状態になる」
ということに罪悪感を覚えていたためでした。
食べ物を粗末にしたくないなー、と日頃から思っているので、食べずに捨てることを前提とした実験を実施するのは興味はあれど気が進まなかったのです。
「あれ、でも待てよ。発酵と腐敗って同じだって言うよな。だったら発酵食品で実験すればいーんじゃん」
とひらめいて、手始めに
無印の発酵ぬかどこを用いて実験することに。
これなら実験後、捨てずに食べられる!
しかも味で検証できるじゃん!
あらら、
もしかして俺って天才か?
でも、密封されたぬか床の品質が声をかけたくらいで差が生じたら、それはそれで問題がありそうです。
さすがにそんなことありえないのではないか?
しかし、もし「ありがとう実験」による効果が実在するならば、たとえ密封されていても、何らかの変化があるのでは?
でも真相はわからない。
なら、とにかく試しにやってみよう!
ということで、それぞれ声をかけたり、
無言で放置してみたりで10日が経過。
そして1月1日、ついに開封。
なお、家族には、どのぬか漬けが、どのプロセスを経たのかは伏せてあるので先入観が味覚に影響してしまうことはないでしょう。
こうしてドキドキしながら、
まずは1つ目のぬか漬けを家族揃って実食です。
妻「おいしい!」
僕「あ、本当だ。おいしい」
子「ぬか床やだーやだー。食べたくない!」
続いて2つ目。
妻「あ、これもおいしい!」
僕「あ、本当だ。おいしい」
子「ニンジンやだー。レタスが良かった!」
続いて3つ目。
妻「これも、おいしいよ。どんどん食べれる」
僕「うむ、これもおいしい。ぬか漬けだね」
子「ぬかってくさいからやだー」
妻「美味しいから食べてみなよ」
子「やだー。でも気になるから食べる!」
(ぽりぽり)
子「全部おいしい!どれも同じ味!」
以上より結論。
「無印良品の発酵ぬか床は
どれも美味しい」
「どんな声をかけようが
声をかけまいが変わらず美味しい」
ってオイw
長い割にしょうもない結果ですみません。
でも嘘を書くわけにもいかず。
(別に無印のステマじゃないですからね〜)
実験内容に関する事前考察が甘かったのか…
というわけで
別の実験も走らせていますので
またいずれ記事にします!!
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