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続・ありがとう実験・第2弾【意外な結末】世界は言霊に支配されている?

インフルエンザで家族ともどもぶっ倒れていました。
コロナになったのが7月なので、まだ半年。

「やー、もういいよ。学びはもうたくさんだべ」

と思いながら、ただ

寝る→トイレ→水→寝る→トイレ→水

のローテーションを繰り返していた結果、病状は回復。

しかし!

そうです。

ブロッコリースプラウトちゃんのお世話がぁ!!!

手が回らんかった。
体きつかった。
ただ水をあげる。それだけのことができんかった。
それで48時間以上が経った。。。

この子たちは普段、数時間後には平気でグラム単位で成長している。目で見て変化が分かるほどにグングン伸びる。
その子たちが48時間絶食だったということは。

(……大飢饉……)

タネが余って余興で表に出して育てていた子たちは、

たった48時間前は

「よっしゃ、おいらスプラウトだもんね!!」

とでも言いたげにピンピンしていたのに、

「……(無念です)」

よよよと痩せ細って、ほぼ全滅していた。。。

ううう、すまんかった!!!
おらを許しておくれ!!!
(大飢饉に翻弄された子沢山農家の気分。。。)

そして実験に使用していた箱入り娘たち、

うう、こっちは一体どうなっているんだ。。。。

おそるおそる箱を開けてみました。すると!!

「な、なんと!!!」

生存率50:50!!!

わかりますか?
フィフティー・フィフティー。
ハーフハーフじゃないですよ笑
立派に生き伸びてたスプラウトちゃんが半分、
もうだめら…とぐったりしたスプラウトが半分。

同様の条件でなぜそのような差が出るのか謎だが、
元気グループと、瀕死グループの二手に分かれている!!

おおお、
こうなるとやっぱり気になる!!
生き残ったのは、どっちの株だ!!!
(株?鉢?文言?表現が分かりませんけど)

①ありがとう
②アリが問う
③ばかやろう
④(無言)

さて皆さんの予想は決まったでしょうか。

ここで各人の信念と人生観が試されます。

どんな結果であっても
僕は嘘偽りなく
正直に書きますので、

この先を読むのは

自己責任でお願いします。

もちろん今回の結果を
どう解釈するか
どうとらえるかは各人の自由です。


さて、それでは結果です。


◆生存(ピンピンしている)

アリが問う1鉢
無言1鉢
ばかやろう2鉢

◆瀕死(ぐったりしている)
アリが問う1鉢
無言1鉢
ありがとう2鉢


そうです。
トップを独走していたかに見えた「ありがとう」が、
まさか2鉢瀕死です。

そして最下位だった「ばかやろう」が2鉢生還。
まさに大逆転劇。
栄光からの転落、どん底からの返り咲き。

ここにあなた様を何をお感じになるでしょう??

僕には見えます。

あーそうか、読まなきゃよかったな、、、という気まずい気持ちになられている御仁の姿が。

また「よっしゃー、やった!!そんな言霊なんてものがあってたまるか!!」と嬉しくなっている方々の姿も。

どちらの気持ちもわかります。


【考察】
考察というより、もはや妄想ですけど。
よく「あの子は温室育ちだから」って言うじゃないですか。
打たれ弱い子とかのことを指して。
僕には今回、この「ありがとう」グループが「温室育ちの子」たちのように見えましたね。
あの子たち、小さい頃からのびのび育ったから出来はよかったんだけど、免疫なかったのよ、だからねぇ…という親戚のおばちゃんのような心境です。

一方、「ばかやろう」とドヤされて育ったグループ、こちらは社会的な成績としては落ちこぼれたのですが、ところがどっこい天変地異が起きてみると、

「けっ、水が飲めねーくらい何だってんだい! こちとら生まれたときから飢えに飢えを重ねてるんだぜ! 水くらい掻っ払ってきたるぜ! このデコスケ野郎!!」

と言わんばかりの健康優良不良少年的反骨精神でラッセーララッセーラと難局を乗り切ったようにも見えるわけです。

はい、もちろん
ただの偶然である可能性が実際は一番高いでしょう。
でも、それは今の段階では
誰でもいえる一番つまらない憶測なので、
ここでは引っ込めておきます。

で、個人的にこの件から感じたのは、

「神様は世界を公平に作っているんだなぁ」

ということです。

ありがとう・感謝・愛
それらは素晴らしい。
今さら言われなくたって誰もが分かってます。耳タコです。

じゃあ、ばかやろうは?
誰が、ばかやろうを素敵だと讃えたでしょうか?
寅さんみたいのは、ばかやろうだけど、もはやばかやろうじゃないですよ。あれはドラえもんです。

ただ理不尽に「ばかやろう」とどやされて育った方も、たくさんいるでしょう。
そういう環境にとどまることを余儀なくされたり、それで荒っぽくなった方もいるでしょう。

そういう人がみんながみんな、心が捻じ曲がって落伍者になるようには世界は作られていないということです。

誰に何を言われたかにかかわらず
いつでも自分の意志で立ち上がれる、ということです!

(えーと、コレなんの話してたんでしたっけ。あースプラウトからの広がりとは思えないなぁ〜笑)

あくまで私見ですが。
言葉には力があります。
それは誰もが実感済みでしょう。
では「良い言葉」「悪い言葉」があるのでしょうか。
よく天国言葉を使いなさい、地獄言葉を避けなさいなどと言いますね。
これは社会生活上は、おおむね正解だと思います。

しかし、だからといって
魂の上で差があるとまでは誰も言ってない。

ありがとうにはありがとうの効用が。
ばかやろうにはばかやろうの効用が。
そして、それらの効用さえも取捨選択できる
個人の自由が保障されているということでしょう!!

適材適所、唯一無二です。
「ばかやろう」という言葉のない世界に
「ありがとう」はまた存在し得ないわけです。
その逆もまた然り。

「ありがとう」とは何かを排除するパワーではありません。
すべてを包み込むのが、ありがとうでしょう。
これは女性原理の言葉といってもよいかもしれません。

そして「ばかやろう」
これは言わば剣の一振りのような言葉です。
「ばかやろう」はあらゆる関係をズタズタにしていきます。
それがある種の鍛錬になる場合もあるようですが。
破壊と分断を招く男性原理の言葉でしょう。

「ありがとう」の方が優れていて、
「ばかやろう」は迷惑、一等低い言葉のように思われているフシもありますよね。
たぶん、それは違います。
両者は同じです。それは同じコインの裏表です。
あるいは右足と左足の関係です。

進化は、ありがとうへのベクトルを持っている気がします。
しかし、秩序が極まるところまで極まると「ばかやろー!!!」という雷が落ち、大爆発が起きて、すべてが木っ端微塵に吹っ飛んで、
「はい、スタートから宇宙全部やりなおし」
となるんじゃないでしょうか。

積み木を組み立てては崩す赤ん坊みたいなものですね。

宇宙は破壊と創造、ばかやろうとありがとうの綱引き、撚り合わせで出来ているわけですね。
(ってコレ、スプラウトの話でしたっけ。
けっきょく宇宙の話になってしまうのはなんでだろう〜笑)

※いずれ実験環境を再整備して、
  より精度の高い実験を実施しますので、お楽しみに〜。
(ぐったりスプラウトさんたちは美味しく頂きました🙏)


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