キタノカタと思い込み
我が家には大切な北の方がいます。
名前が奥方であるのにふさわしく、日々うやうやしくお世話されている梅の木の盆栽です。
治療院の名前にちなんで開院祝いにいただき、毎日私の独り言に付き合ってくれている可愛い存在。
彼女を下さったのは北海道在住の方なので、色々と悩んだ末に「北の方」と呼ぶことにしました。
名前や愛称を通り越してもはや身分。
しかし小さくとも着々と葉っぱを増やし、頼もしい奥様でございます。
そんな我が家の北の方に、今朝珍客が来ていました。
あまり見たことのない細長い緑の虫。
葉っぱと同じくらいの大きさで、じっと止まっています。
小さい器の中で、ただ根を張って生きている北の方が、虫の止まり木にもなれるのか…と、不思議と肩すかしをくったような気持ちになりました。
世話をしている側の傲慢さでしょうね、ただの小さな盆栽だと思っていたのに、平然と彼女の世界が存在していることに気付かされました。
かつて私が人生で一番長く片想いしていた相手が、「自分は大きな樹のような人間になりたい」と言ったことがありました。
動物や人が自分の木陰で憩えるような、静かで大きな人間。
その時のイメージが勝手に根付いて、誰かの役に立てるような樹は大きくて立派な樹であらねばと思い込んでいたけれど。
今の自分のままの大きさでも、当たり前に誰かの役に立てるのかも。
もっと立派にならなきゃ、大きくならなきゃはじまらないと、案外自分が思い込んでいるだけなのかもしれません。
自分はこうなってからじゃないと人の役には立てない。
こうなれていないから幸せになれない。
今のままではまだ至らない。
先ばかり見て今の自分を否定しているのは、自分だけかも。
そしてその思い込みは、今の自分を好いてくれている人たちに対して、無意識にとはいえ結構失礼ですね。
ありがとう、北の方。
さすが猛々しいほどの内助の功ぶり(?)
お互いの世界を尊重し合って、これからも一緒にいようね。
ちなみにかつて「大きな樹のような人に」と彼が言った際、私は「湖のような人になりたい」と言いました。
川でも海でもなく、淡水の大きすぎない湖。
そこは概ね今も変わりません。
波立つことなくいつもそこにいて、のぞき込んだ人を映す豊かな水源でありたいと、今も昔も思っています。