覚え書き(「あの人に会いたい」松岡正剛 感想)
学校の読書感想文が嫌いな子どもだった。
たぶん、無類の(いや、「かなりの」位か)本好きに分類されるのだという自覚はあるが、読書を強制されること、不特定多数に向けて自己表現することが、恐ろしく不安だった。
「感想なんて、誰かに貶されるくらいなら、胸に秘めておいてもいいじゃないか」と、頑なになる反面、好きな小説や漫画の感想は、心の底に穴が開くんじゃないかというくらい、誰かとシェアしたくなる一面もあった。(幸い、大抵はリアルでその機会に恵まれてきた。)
いわゆる、オタク気質。妄想しやすいし、腐女子っぽい要素もあるけど、原作は尊重したいし、生々しい話を長時間するのは苦手だ。
そんな私が松岡正剛さんのWebサイト「千夜一冊」に出会ったのは、高校生のときだった。確か、17歳。高2だったと思う。
帰宅部で、(今も、進学校なら大なり小なりあると思われる)勉強しなくても怒られずに済む趣味が、読書と、早々に地区の賞レースから抜けてお遊びになっていたエレクトーンだった。色々な積み重ねで、孤立していないが学校に馴染めておらず、常にギリギリを生きていた。
その日は、図書館で借りてきたある本を、セカンドハウスにしていた祖母宅のこたつに首までずっぽり入りながら読んでいた。数日、何度も畳を枕に寝落ちし、重めのハウスダストアレルギーでくしゃみと鼻水が止まらなくなり、祖母にたしなめられながら、その本を解説まで通読したときだった。
頭を殴られた…いや、一度殺されたくらいの衝撃を受けたのに、感想をシェアできる人がいなかった。
言い換えれば、当時は孤独の真っ只中だった自分の悩みの根本をズバリ言い当てられたような気がして、おいそれと誰かに心からの感想を語れるものじゃないと思ったのだ。
2000年代初頭、当時はスマホもSNSもなかったので、父のパソコンを使える時間をフル活用し、当時の「2ちゃんねる」から何から、必死でその本の感想を探し、「千夜一冊」に辿り着いた。パソコンを借りられたときに、そのページを何度も何度も検索でヒットさせて、しつこく読み返したことを、無意識に人の穏やかな声を聴きたくてつけたNHKの10分番組「あの人に会いたい」を観て思い出した。
昨年亡くなった松岡正剛さんは、「千夜一冊」の管理人(当時は、今でいうブログ運営者をそう呼ぶならわしだった気がする)という記憶しかなかったけど、「すごい人」だったんだなと、食い入るように観て、疲れた。疲れて、思い出した記憶だけ書き起こすにとどまってしまったので、覚え書き。
「すごい人」の業績のひとつとして紹介されていた、『情報の歴史』という本が、とても面白そうだった。Amazonではプレミアが付いているようなので、今度図書館で探してみようと思う。詳しいわけではないけど、歴史学の世界システム論に通じるような気がして、とても興味を惹かれた。
「千夜一冊」も書籍化されているようだが、また思い出したらサイトがあるかどうか確認してみようと思う。
その節は、ありがとうございました。合掌。
あとは、頭の中で言葉がめぐるタイプの人だということだけは、自分と共通しているなと感じた。(「孤独のグルメ」の五郎さんと違い、言葉を全て降ろすことに全身全霊をかけたのだなと感想づけるのは、失礼だろうか。)
蛇足。前に観た「あの人に会いたい」で印象に残っているのは、宮城まり子さんと渡辺和子さんだ。NHKのドラマと教養番組と海外ドキュメンタリーは、疲れていても安心して観られることが多く、ついつい観てしまう。
「あの人に会いたい」は、社会的に功績のあった人の追悼番組なので、観て呼び覚まされる記憶がある一方、取り上げられた方々の新しい考えにもう触れられないことは、かなしい。
(2025.2.19追記。松岡さんが立ち上げされた、編集工学研究所のアカウント様から「スキ」を頂戴しました。誰からいただく「スキ」も等しく嬉しいけど、安堵を覚え、光栄に感じました。ありがとうございます。)