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カルチャーショックには4つの段階がある①ハネムーン期

もう一つの祖国バングラデシュへは、今まで10回以上行きました。

初訪問で体験した、強烈なfirstカルチャーショック。

ただ、そのまま止まっていたのではなく、日本とバングラデシュを行き来するうちに、
自分の中でもう一つの祖国バングラデシュの捉え方が大きく変化して行きました。

そのプロセスを、「カルチャーショックの4段階」に照らし合わせて、
1段階ずつ追っていきたいと思います。

カルチャーショックの4つの段階とは?

「カルチャーショックに段階があるの?!」と思われるかもしれませんが、
そうなんです、実はあるのです。

自分がこの段階を知ったのは大学の講義でした。その時は留学を例に説明されていました。
各段階と内容、ついでもUmenotoの場合もまとめてみるとこうなりました。

カルチャーショック まとめ表

さらに5段階目として「再ショック期」があり、帰国後に「ここが変だよ日本!」と逆カルチャーショックもあるそうです。

短期留学や海外旅行のちょっとした経験は①で終わることが多いようですが、長期留留学・滞在の場合は、②~④を経験することになります。
もちろん人によって期間や進み具合に差はあると思いますが、
海外に行ったら、誰しも通る道なのかもしれません。

4段階を、「自分の場合は?」と当てはめたら

バングラデシュに住んだことはなく、短期滞在を繰り返した訳ですが、
この4つの段階をみて、「ふむふむ」とうなずく自分がいました。

今回の①ハネムーン期は、
「通常渡航前~渡航後数週間」とあるものの、出発前の1週間くらいで、
とても短かったと思います。
(ハネムーン期ってネーミング、ウハウハな感じがよく表れていますよねw)

というのも、物心ついた4、5歳の時から、「日本人じゃない」と友達から言われることがよくありました。

家では二か国語が飛び交っているグローバルな家庭と、思われがちですが、、、
家でも日本語しか使わず、
自分でも「パパ=外国人」という感覚が全くありませんでした。

むしろ道で外国人を見かけたら、「アメリカ人がいる!」と驚いていました。(家にも外国人いるのにw)

自分のことも、日本人としか思っていなかったので、
「日本人じゃない」と言われると、
「日本人じゃないの?じゃあ、なに人?」と複雑な気持ちでした。

でも相手には全く悪気はなく、
けれど小学校入学前の年頃で、相手がどういうつもりかまだ理解できず、
ストレートに言葉を受け取っていたのでしょう。

「日本人じゃないといかんの??日本人とか、なに人とか関係ある?」
子どもながらにそう思っていました。

このような幼少期だったこともあって、その由縁であるバングラデシュに
あまり良いイメージを持てなかったのです。

入り混じる期待と不安、そして儚すぎるハネムーン期・・・

ただ、「今度バングラデシュに行くよ」と母から聞いた時、
「おじいちゃん、おばあちゃんに初めて会える!」という期待と、知らない所に行く不安が一気に入り混じりました。

まだ小学生1年生で、世界地図がやっとわかるレベル。
アジアのイメージすらなかったので、
何となくニュースでよく見るアメリカやイギリスといった欧米を思い浮かべていたと思います。

出発が近づくと、想像したおばあちゃんの絵を描いたのですが確か、白人のおばあちゃんが青いドレスを着ている姿でした。(ディズニープリンセスの影響?!)

そして、いざ出発。
経由地のシンガポール泊まではウキウキでしたが、
バングラデシュ到着後すぐに受けたfirstカルチャーショックで一気に吹っ飛びます。
儚すぎるハネムーン期w

さて次回は②ショック期について。(この期間が本当に長かったぁ)
つづきます・・・

*firstカルチャーショックについてはこちら



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Umenote / Umeno Khan
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