My first カルチャーショック in バングラデシュ
初めてバングラデシュへ行った時のこと。
小学校1年生の冬休み、その頃はまだ両親と私の3人家族。
出発前、まだ会ったことのないおばあちゃんの絵を描いてワクワクしていました。
乗り継いで約15時間の旅。行きは経由地のシンガポールに泊まり、
いざバングラへ。
首都ダッカの空港に到着して、そこで
生まれて初めての強烈なカルチャーショックを受けます。
空港から出ると、お祭りのように人でごった返していました。
警備員の人に誘導してもらいながら親戚の車に乗り込み、出発まで母と
後部座席で待つことに。
その時、
「コンコンコン」と窓をノックする音が。
窓を開けると、そこには10代くらいの若いお母さんが、小さな赤ちゃんを
抱っこして何か訴えています。
何と言っているのかわかりませんでしたが、手を差し伸べる姿に
母は物乞いであると気付きます。
すかさずポケットから、コインを差し出し
「ごめんなさい、これシンガポールのお金なのだけど」
と、母が言いながら渡した瞬間・・・
窓から無数の手がバアアアアアーーーッと車の中に!!!!!!!!!!
その場にいたたくさんの物乞いが「自分も」と一気に手を差し出したの
です。
急いで車を出しその場を離れましたが、
しばらくの間、心臓のバクバクが止まりませんでした。
これが、My first カルチャーショック in バングラデシュ。
ほんの数分の出来事ですが、今でも鮮明に目に焼き付いています。
そして、バングラのことを語るときには欠かせない出来事です。
その時は2ヵ月間ダッカで過ごし、父の故郷ロンプールへも行きました。
祖父母にも初めて会い、親戚・父の友人宅をひたすら回りました。
言葉、人、食べ物、ニオイ、風景・・・
その全てが日本とは違い過ぎて、
「どんな国か全くわからんかった、、、本当に自分のもう一つの国なの?」
と頭の中がバラバラで終わった初訪問。
と、第一印象は絶不調w
自分のルーツはバングラデシュにもあると、頭では理解しながらも
そのことが心からわかるのはずっと後のことになります。
さて、自分の中のバングラデシュはどう変化していくのか?!
つづきます。