見出し画像

教育虐待①

はじめに

教育虐待という言葉は、まだ広く認知されていないように思います。
特に、教育を十分に受けさせない、いわゆる「教育ネグレクト」と混同されることが多いのではないでしょうか。
教育虐待は教育の押し付けによって子どもに負担をかける心理的虐待です。
私が受けた教育虐待の話を始める前に、まずはこの問題についてかいつまんで説明します。


教育虐待とは

親が子どもに対し、子どもの心や身体が耐えられる限度を超えた教育や習い事を強制する行為を指します。
背景には、親の「子どもの将来のため」という思いや、「自分のコンプレックスを克服させたい」という意識があります。
親自身は「良かれと思って」やっているため、第三者や当事者も気づきにくい形で行われる虐待です。
しかし、教育虐待は子どもの自己肯定感を著しく低下させ、大人になってからもトラウマや自己否定感に苦しむなど、深刻な影響を残すことがあります。(参考;https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4883/)

虐待とは、親が自分の感情を押しつけ、子どもを一方的にコントロールすること

南部さおり『児童虐待 親子という絆、親子という鎖』
教育出版、2011年、P32

子どもの気持ちを無視して習い事を無理強いすることや、日常生活で極端に遊びや自由を制限すること、子どもが望まない進路を強制することも、子どもの心に深い傷を残す虐待と言えるのです。


【必読】ここから先を読む前に

この先は私が実際に幼少期から受けてきた教育虐待に関するエピソードが始まります。
もし読んでいるうちに辛くなってしまったら、無理をせず、ページを閉じることをお勧めします。

では、続きをどうぞ!


母はどんな人だったのか

「両親は夜な夜なパーティーに出かけていて、子ども時代はひとりで寂しい思いをした」
「地方出身だからレベルの低い大学にしか入れなかった」

真偽のほどは定かではありませんが、母は自分の育った環境への不満をよく漏らしていました。
早く家を出たかったそうで、寮付きの高校に進学し、大学進学を機に上京。
卒業してからも東京でフリーターをしながら小説家になるべく執筆を続けました。
結婚願望はなかったそうですが、私を授かったため、結婚することに。
小説家として身を立てていたわけではなかったので、専業主婦となり出産と育児に専念しなければならなくなりました。
それが悔しかった彼女は、自分が親にしてもらえなかったことを娘にさせることにより、報われなかった自身の子ども時代と夢を昇華させることにしたようです。
娘には幼稚園の頃からバイオリンに通わせ、小学生になってからはピアノも追加し、夏になるとスイミングスクールのサマーキャンプを体験させました。
また、大学受験に有利なレベルの高い高校を受験させるため、小学校高学年からは塾の進学クラスに入れました。
はたから見ても熱心な「教育ママ」でしたが、問題は、そのどれも娘がやりたがったものではなく、彼女が脅すような形で無理矢理やらせていたことでした。


幼少期の習い事

早くから始めさせれば、バイオリニストになるかもしれない。
そんな期待が母にはあったようで、バイオリンのレッスンは、多くの同年代の子どもと同じように私の意思とは関係なく始まりました。

一方、当時の私のお気に入りのおもちゃはレゴでした。
ままごとやリカちゃん人形、トランプなども一応ありましたが、母が私に与えるものの選択基準は「教育的かどうか」だったので、知育玩具の中でも特にレゴはたくさんありました。
私も気に入っており毎日のように遊んでいたのですが、逆に言えばその頃には「好き嫌い」の自我が芽生えていたということ。
残念ながらバイオリンは後者でした。

弦を押さえる指は痛いし、電車を乗り継いで通う教室は遠い。
更に私は人見知りだったので、先生には申し訳ないのですが、「毎週よく知らないおじいちゃんと狭い部屋で会う」こと自体がストレスでした。
いつしか、バイオリンの練習をするよう言われると、反抗するようになりました。

すると、「あんたのためにやらせてやってるのに」という気持ちでいる母は当然腹を立てます。
「バイオリンの練習をしないならレゴを捨てるよ!」と私を脅すようになりました。
大切なものを捨てたと言ってどこかに隠されたり、目の前でゴミ箱に投げられたりすると、小さな子どもは「練習するから捨てないで」と号泣しながら服従するしかありません。
それでも、幼心にその二つには因果関係がないと分かっていたので、理不尽さに耐え切れず、泣きながら裸足でマンションを飛び出したこともありました。
もちろんそんなことで母が諦めるはずもなく、私は「レゴを捨てる」と言われても平気なふりをしたり、自分の大切にしているものを母に言わないようにして自衛するようになりました。

小学校に上がると、事態はもっと悪くなりました。
内気な性格だったので目立つことが苦手でしたが、その小学校の音楽系の発表では、習い事をしている人が優先的に演奏する風習がありました。
母は「目立ってなんぼ」の思考なので、担任の先生にも私がバイオリンをやっていることは伝えており、やらないと母の機嫌を損ねることが分かっていた私は、大勢の前で演奏を披露することを嫌と言えませんでした。
特別うまくもないし、発表当日は顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったです。
このことが関係あるかは分かりませんが、私は大人になった今でも、大人数の前で発表する場面ではだらだらと冷や汗をかき、手も声も震えます。

そんな状況でも、母は「バイオリンをやるならピアノもやらないと」と習い事を追加しました。
それがどんなに素晴らしく、恵まれていることかを聞かされたあとの「やりたい?」には「うん」と答えるしかありません。
それに、ピアノの方が私にとって若干マシでした。
バイオリンと違い習っている子も多く、同級生にはピアニストの子どももいたため、私が演奏しなければならない可能性はないと確信していたからです。
また、運の良い事に、当初は友だちとレッスンの曜日が同じだったので、待ち合わせて楽しく通うことができました。
練習は好きではありませんでしたが、バイオリンに比べれば難易度が低く、聞いたことのある曲も多くてやりやすかったように思います。
やがて母は、たいして上達しない私に音楽を続けさせても意味がないと諦めたようで、塾に入る頃に勉強優先ということでバイオリンもピアノも辞めることになりました。

母の手法は「やらせる」という面だけを見れば確かに効果的でしたが、私は音楽を楽しめず、母に対して心を閉ざすきっかけになりました。


地獄のサマーキャンプ

スイミングについては、背泳ぎまで習いましたが、継続的に通った記憶はないので、おそらく夏休みだけなど短期講習に行っていたのだと思います。

小学五年生の年に、スイミングスクールが主催する小学生対象のサマーキャンプに行くよう命じられました。
人見知りですし、そもそも高学年にもなって低学年と一緒に過ごす宿泊イベントが楽しいとは思えなかったのですが、私の意見が通るはずもありません。

迎えたキャンプ当日は案の定地獄でした。
まず、高学年で参加したのは私ひとり。
嫌でも同じ班の小さな子どもたちに対して責任感が生まれます。
キャンプ場では予めテントを組み立ててあったのですが、開けると中にはびっしり蜻蛉が止まっているではありませんか。
元々虫が大の苦手だったのですが、惨状に怯える低学年の前で何もしないわけにもいかず、摘み出そうとしたところ、おっかなびっくり引っ張ったため羽を毟ってしまいました。
どうして良いか分からなくなり、結局、泣きながら引率のコーチに助けを求めました。
夜もおもらしをしてしまった一年生をコーチのところに連れて行ったりと、楽しかったことよりも大変だったことばかり覚えているようなイベントで、この一件で虫嫌いはトラウマレベルになりました。
実はこの間、歳の離れた妹はキャンプに参加せず親元で過ごしていたこともあり、私はますます親が自分の気持ちを理解してくれないことに対する絶望感と孤独感を深めていきました。


補足と次回予告

一切登場しないので「父親は?」と思われたかも知れませんが、彼は学歴以外興味がなかったようで、これらの習い事を強要することも、母を止めることもありませんでした。

次回の投稿は10/16(水)夜、教育虐待の体験談の続きです。
「進路の強制」と「行き過ぎた管理」について詳しくお伝えする予定です。
是非フォローしてお待ちください!

いただいたサポートは参考資料の購入など活動費に充てさせていただきます。 サポートよろしくお願いいたします!