おとうと
第31話
ついていけない。
カネならあった、当時は。
父は羽振りがよかったし母もある程度稼いでいた。
だから教育費なんてものは、湯水のごとくとまではいかなくとも
子供に必要と親が感じる程度のものなら
しっかり出してもらえていた。
だからアホな私が高校をやっと卒業してから
2年もの間、専門学校に通うことができたのだ。
成績が悪いことは知っていたが
これほどまでとは母も私も考えておらず、
弟は冬休みが終わってすぐ、塾に放り込まれた。
「学校には行かなくていいけど勉強はしなきゃ」
という母の言葉、その真意がやっと
無責任な私にとっても重みのあるものとして伝わってきた。
送迎なら母がした。塾で遅くなるなら母が迎えに行った。
けれど。
学校の成績がびっくりするくらい悪い弟は
早速塾でも落ちこぼれた。
「だから、悪い成績を上げるために塾に行くんじゃないの?」
母が不安げに語ったのも仕方ない。
塾から連絡があり
「うちではこれ以上面倒は見られない」
と告げられたというのだ。
塾を塾側から辞めさせられるなんて。
それも素行が理由ではなく
「あまりに学力が低すぎる。他の生徒に迷惑をかけてしまう」
という理由で。
呆気に取られる。そんな経験を私も母もこの時した。
そんなことってあるんだね、と囁き合った。
弟に面と向かって「あんたさー」などと
軽口を叩くことは憚られた。
誰よりショックを受けていたのは、弟だったから。
母が伝手を頼り家庭教師をお願いできたのは
3年に進級してからだった。
クラスが変わり担任も変わり、弟は再び通学できるようになった。
いじめっ子は同じクラスにひとまとめにされていて
一応は学校側の配慮を感じることができた。
(担任は大変だろうな)
としみじみ思った。
私が中学3年の頃、担任の先生に対する暴行事件が起きた。
犯人は同じクラスの不良たち。
勉強は放棄しルールを逸脱した日常に向かって
駆けて行ったのはあんた達だろ、と言いたくなるほどに
(言わないけどね、そんなこと。怖いし)
何かと先生に反目し不満を並べ立てていた。
登校したからといって大人しく授業を受けることはない。
完全にクラス崩壊ならぬ「学年崩壊」
先生方が保護者にヘルプ要請するほどに、母校は荒れ果てていた。
「授業を見て現状を知ってください」
本来来るべき生徒の親はひとりも現れなかった事実は
大人になった現在、実に興味深いものとして受け止める。
つまりは親たちが子育てを放棄し
「棄てられた」子供が荒れていたのだ。
うちの母なら、私の素行不良が原因で
授業が進められないなどの「害を加えている」と知った日には、
真の意味で心身ともに「ボッコボコ」にされたことであろう。
子に無関心な親ほど強弁なのも
何らかの方程式に当て嵌められそうで、現象として面白いと感じた。
「うちの子が申し訳ない」
と言えた親はひとりもいなかったと記憶する。
実際いい迷惑だった。
バカでも大人しく授業を受けたい私みたいな生徒
(デブスで全く目立たないがいじめを理由に転校してきたカス)
の机なら壊していいし、教科書も捨てていいし
ノートもビリビリに破いていいし、ペンケースの中の
シャーペンもボールペンも折っていいし。
なんてヤツらのことで、本当に困り果てていた。
思い返してみても彼らが「自分より強い存在」に
向かっていった姿を見た記憶は1度もない。
私のように「絶対反論しない」大人しく、だけど悪目立ちする
「やっていいヤツ」は片っ端からやられていた。
私は女子だからか物理攻撃まではされなかったけれど、
男子には「目が合ったから」という理由だけで
ボコボコに殴られ蹴られ、蹲っているのにそれでも尚
という人もいて、気の毒過ぎて見ていられないほどだった。
先生たちも抑えつけるほどの威力は持たず
「できれば関わりたくない」
という意志がダダ漏れになっていた。
大人なのに、と当時はその姿勢をかなり卑劣なものと
認識していたが、自分が大人になってみて思うのは
「どうして学校の先生なんかになりたがったんだろう?」
ということだ。私など、あっという間にメンタルやられて
休職に追い込まれることだろう。
使命を果たしていると実感できる先生がいる反面、
「もう辞めちゃえば?」
なんて、生意気言いたくなる先生もいた。
反抗期・無責任・そういう世代
そんな風に片付けられるほど、思春期は柔くも優しくもない。
とことん冷酷にも冷淡にもなれるし、
レールから外れ、坂道を転げ落ちたらあとはあっと言う間だ。
私も弟も「やられた側」であったことは、実際よかったと思っている。
やった側なら大人になってからの方が何かと面倒だろう。
「あんなヤツ無視無視w」
と嘯けるのは、若い世代の特権だ。
ある程度年齢を重ねてからは、そうはいかない。
担任の先生を殴った人に大人になってから再会したが、
私から声かけしないのは勿論だが
向こうもやたら気まずそうにしていて
無視してさっさとその場から去ったのだが、
後から爽快感が私を追いかけてきたのは滑稽だった。
やられたからって、人を困らせちゃいかんのね。
やった相手にやり返すならイーブンだろうが、
弱者までとっちめたらそんなもん
ただの「ならず者」だもの。
塾をクビになった弟は、中学3年の春から
家庭教師に勉強をみてもらうことになった。
穏やかで聡明な大学生のその人はとても優秀で、
弟の成績もうなぎ上りかもと
随分都合のいい期待を抱いたものだ。
だからその点は本当に申し訳なかった。
弟は私の予想を遥かに下回る学生だった。
アホすぎたのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?