NHKスペシャル 「三島由紀夫 50年目の"青年論"」 を見ての感想

 昨日11/25は三島由紀夫が半世紀前に亡くなった、憂国忌、でした。
 この番組で紹介されていた三島の言葉でいくつか印象深いものがありました。その中でも私の心に引っかかったのが、大学での学生との討論会で学生に自己と社会との関係を問われて「社会は敵である。社会に認められたいという二つの面がある。」というものでした。
 社会は敵。社会に認められる。というのは一見二律背反の思いのような気がします。
 そこで、三島と親交の深かった澁澤龍彦のサド裁判の折に、三島が「貴下が前科者におなりになれば、小生は前科者の友人を持つわけで、これ以上の光栄はありません」という激励のメッセージを澁澤に送ったというエピソードを思い起こしました。前科者の友を持って光栄というのは彼のアナーキストである面を見てとれます。
 そこで、敵である社会、その社会に認められるというのは彼のアナーキーな反骨精神から来ているのだと思いました。敵である社会に認めさせるとはある意味その社会に対して自己が打ち勝つような、どうせ死ぬなら一矢報いる、ような存在意義を示すことになるのではないでしょうか。
 先の三島の言葉の続きは「自分が社会に認められるかどうかの不安が文学の出発点であります」というものでした。彼はその文学で革命を起こすような素晴らしい作品をたくさん残しました。更に実際に行動をしてあのような最期を迎え、思想や机上のことだけではない一貫性のある行動の実践にとても真摯で純粋な魂を感じるのです。例えそれがアナーキストのそれであるとしても。

いいなと思ったら応援しよう!