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生きづらさと生きる
ディスレクシアのことを調べていたらたまたま見つけた。
これがすごく心に響いたので、息子くんのことを書いてみたくなった。
息子くんは読み書きが苦手だ。発達障害とかADHDとかディスレクシアとかLDとか、いろいろあてはまる。
不登校ってやつである。読み書きが苦手だけじゃない、行けなくなった理由はいっぱいあるけど、決定的になったのがコロナのパンデミック。学校に戻ることなく小学校を卒業した。
今はフリースクールに通っている。フリースクールの方針で、自ら「やりたい」とか「困った」といってくるまで、先生たちは勉強を教えないし、するように促すこともない。
やりたいことだけやってフリーダムに生きてた息子くんが、いよいよ、「俺、、やばい、なにも勉強できない」と言い出した。同じくフリーダムな友人たちが微妙に焦りだしているのを感じているようだ。この春フリースクールを卒業予定の子もいるから、楽しい時間には限りがあることに気が付いたようだ。
そんなわけで私も、近場に息子くんが通えそうな塾があるかしら…と探してみたり、こういう子はどういう高校がいいのかな、と、調べ始めた。
過去、教材は購入したことがあるけど、続かなかった。わりと近くに有名な先生もいるらしいけど、そういう塾はお高いうえ、続くかどうかわからないし…
地方に引っ越した同じようなお子さんを持つ友人は、障害があるので、授業に自分用のタブレットを持ち込んでいいかと、学校に交渉したが、ものすごく大変だったといっていた。地方に比べたら、東京は進んでいるからよかったね、と言ってたけど、一般的なお子さんの何倍も手がかかる子育てをしているような気がする。
フリースクールという守られた環境の中にいたから、ずいぶん長い間忘れていたけど、「障害」という言葉が壁のように感じた。フリースクールは壁の中で守られた場所だ。
ここからどうやって出てゆこうか。
算数は掛け算はできる、割り算はあやしい…
今まで読むことをかたくなに拒んできたけど、やっと、これではまずい…という危機感を感じたようで、二年生の国語の教科書を寝る前にほんの少しだけ、一緒に音読するようにした。ぜんぜん読めないわけじゃない、読もうと思えばなんとかなるみたいだから、何らかの方法を使えば、世の中に出てこまらないくらいにはなるんじゃないかな。
うれしく感じたこともある。こんなふうに一緒に本を読める日が来るとは…失われた数年間が戻ってきたみたいだった。いつまで続くかわからないけれど、それでも、うれしかった。