やすんでもいいよ
木の芽時という言葉を知ったのは
二十数年前、某企業の健康管理室で働いていた時
三月から四月、そしてゴールデンウィーク明けまで
体調を崩す人が多かったから。
当時一緒に働いていたのは心療内科でストレスが専門の産業医と、
精神科、心療内科「こころの領域」に詳しい先輩ナース
三月くらいから
「忙しい季節になるね~」
とか
「木の芽どきだからしょうがないね~」
という言葉を頻繁に使っていたから
頻繁に使うくらい、その季節
まさに、今の季節は健康管理室の繁忙期だったから。
今年は例年よりも気温が低めでいつもよりもゆっくり春がすすんでいるような気がする。それでも草木の生命力は著しくて、見えて伸びてゆく。毎日同じ公園を歩くけど、雑草は伸び放題、木々の枝に葉は茂り、毎日別世界に迷い込んだように思えるくらい。
それくらい「成長させる力」が宇宙から降り注いでいるのだから
人間だって、そのエネルギーを受けていないわけがない
当たり前かもしれないけれど、毎日自分の体調が違うことに驚いた。冬の頃はこんなことなかった。確実に調子が悪いと感じるのは、雨が降る前、降りそうだけど降らない、曇った朝。こういう日は「私どうしちゃったんだろう…」ってくらい足が重く、体が思うように動かない。敏感な10歳の息子も、こういう日は「今日はお休みしようかな…」という。フリースクールにかよっているから、好きなことしかしていないのに…自由奔放な子供でも、気圧とか温度の変化とか湿気とか、うっとうしいエネルギーはどんなに楽しい出来事があっても別ものらしく、体にはきびしいようだ。
ただでさえ、宇宙からのエネルギーに翻弄される季節なのに
新入生、新社会人、新しい環境に入ってゆく人たちは緊張も重なるから具合が悪くなるのがよ~くわかる。
最初が肝心だから、ちょっと無理しても、この時期頑張って、新しい環境に身を置くことも大切だけど、勇気をもってお休みすることもそれとおなじくらい大事なことだと思う。
無理しなくてもいいよ。今日は休んでいいよ。
そんな言葉をかけてあげられる人が、一人でも傍にいたら心強いんじゃないかな。その人が本来持っている力を信じている人は、そんなふうに声をかけてあげられると思う。
世の中に無理やり自分を合わせるよりも
本当はもっと大事なことがあって
自分の「芯」みたいなものを、見失わないこと。
なんじゃないかなって私は思う。
「具合悪い自分」に気付けるこころの眼。
自分を信じて安心して休める自分と
そんな自分を受け入れてくれる世界への信頼感
元気が出るまで休もう。
元気が出たら「歩こう」大地を踏みしめて。