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雪の日の記憶 その2
雪の日の記憶 その2
寒いけど、雪はさほど降らない南信州が雪景色になった。東京暮らしの子供達にしたら、うっすら雪景色になっただけでも、うれしいようで、きゃっきゃとはしゃぎながら小動物みたいな足跡をつけて遊んでいた。
日向の雪はすぐに解けてなくなるけど、日陰はなかなか溶けない。溶けたと思うと、日が暮れ、寒くなり、がりがりに氷り、またその上に雪が降り…
しばらくの間は、すべって転ばないように注意して歩かなくてはならない。
久しぶりに、日陰のがりがりつるつるの道を歩いた。歩く感触が、なつかしい、遠い記憶を思い出させた。
私が高校時代を過ごした学校は標高1500メートルの山のふもとにあって、ふもとなのに…標高(海抜)600メートルだった。(ちなみに、今住んでいる東京の街の最寄りの小学校は海抜50メートル)そもそも、最寄り駅の標高が500メートルもあるから、実質100メートル登るのだけど、ゴール地点の高校に到着する手前にけっこうキツイ坂道があった。
毎朝、坂道を上り、登った数だけ下った。
ただでさえ、うんざりするような…坂道なんだけど、雪が降ったときは、修行レベルの過酷さで、ガードレールを握りしめながら、誰かが付けた足跡の上を器用にあるいていく…
正直な話し、登りはまだいいのだけれど、学校から帰るとき、下りは、高校生によって踏み固められた雪の坂道は、それはそれはすべりやすく、さらなる注意が必要だった。
そんなわけで、過酷な坂道を毎日上り下りしていると、白く美しい乙女の足が、太く、逞しくなる、という理由から、高校に到着する直前の急な坂道は「大根坂」と呼ばれていた。いつからかはわからないけれど、ずっと前からそう呼ばれていた。
高校生時代って楽しかった記憶はあまりないのだけど、なぜか、まじめに学校に通っていた気がする。(遅刻魔だったし、よく、母に車で送ってもらっていたけど)もしかしたら、どこにも居場所がなかったような気持だったから、どこにいても同じだったしどこでもよかったのかもしれない。
ぼーーとしながら、なんとなく、高校に通っていたけど、どんな思い出よりも、セーラー服にローファー、どう考えても長靴で歩くべきってのに、美意識により、断固として長靴は拒否し、転ばないように慎重に、真っ白い雪の坂道を歩いた、全身の感覚を集中させて歩くあの時の緊張感とか、足の裏の感触を鮮明に覚えている。生きている実感として。
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