ハシモト荘3号室の思ひで
いやはや、面白かった!(〃'▽'〃)
なにがと言って、この本が、です。
これはこないだ描いた記事、
の中で、フォロワーさんの娯楽ないみさんが教えてくれた本です。買いました(笑)買って読むまでは正直、
芸人さんに売れる本まで描いてもらっちゃ困るな(._.)
と思っていたのですが(^_^;)もう仕方ないですね、こんなに面白ければw
大変満足です、やはりたまには他人様のおススメ本を買ってみるものですねえ。自分ではなかなか手に取れません。
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で、この大家さんというワードから、当方も昔お世話になった大家さんを一人思い出した。個人が特定されないように場所は伏せますが、
ハシモトさん、お元気でしょうか(._.)…
その節は大変お世話になりました<(_ _)>
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以下どうでもいい当方の思い出です(^_^;)
それはいまからだいたい18年ほど前のことです。当方はその
ハシモト荘の3号室
をお借りしていた。こういう部屋でありました。
23区内、風呂なしトイレ共同4畳半、水道代込35000円
という物件。あるんですよまだこの現代にも(笑)
ここは1階で、窓の向こうはすぐ隣の建物の塀で全く陽が入らなかった。というより、
その塀がネコの通り道であったために、窓を開けるとマンガが描けなかった
という思い出が強烈に残っております。
当方はこの部屋にたった3年しか住んでいませんし、上京してから何度も住処を変えているのにどうもこの
ハシモト荘の3号室に心を置いてきた
ようで、いつも懐かしく思い出します。
だからマンガに貧乏アパートを描くとなると、なんの資料もいらない(笑)ソラでこう描けます。
(当方は実際はキレイ好きなのでこう散らかしたりはしませんが…(^_^;))
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ところでこの大家さんは、アパートの隣に自宅を構えておられた。
いまでもたまにありますが、お家賃は直接大家さんに手渡しで持っていくシステムだったのです。
当方は夕方ごろお邪魔して、奥様にお家賃を手渡ししておりました。旦那さんは大家業のほかにもオシゴトがあるらしく、あまりお話しする機会はありませんでした。
ただ当方がこのように
道に座り込んで絵を描いていると(ここはアパートを出てすぐの場所なんですw)
たまに通りかかったご主人が
「やってるね」
「がんばれよ」
などとお声をかけていただいたものです。
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ところで当方は、そのとき生活態度が非常にアレでした(._.)
いや素行が悪かったわけではないのですが、ええと、その、栄養状態が非常に悪かった(^_^;)詳しくはここに書いてあるんですが…
メシに金回さなかったんですね。そのおかげで今でも肝臓が悪い。
で、あるとき。半年ほどお世話になったころ。たまたま道でであったご主人がこういうのです。
主「梅熊くん。君は大丈夫なのかね」
当「?」
主「なんだか最近みるみるやつれて、顔色も悪いじゃないか。しっかり食べているのかね」
当「ああ、大丈夫ですよ」
主「ウソを言いなさい!お金に困ってるんじゃないのか!?」
ご主人はやさしいながら厳格な方で、当方をまっすぐに見つめてこういわれるのでした。
主「私は大家だ。君は学生だ。私は君の親御さんは知らないが、君をお預かりしている立場なのだ。君がやつれていくのを放っておくわけにはいかないのだ」
…いや、あの、江戸時代の話じゃないんですよ。平成です。
いるんですよまだ、東京に。こういう大家さんが。
当方痛く恐縮して、
「スミマセン、ご心配をおかけして。でも本当に大丈夫ですから」
というと、ご主人
「ではどうして半年も家賃をためているのかね?」
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当方はここで目がテンになりました。(´・ω・`)
どうやらご主人、当方が奥様にお家賃を手渡していることを「半年間」知らなかったようです(笑)
もちろん一緒に奥様に確認して、ことなきを得たのですが…。
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考えて見ると大家さん(ご主人)は、当方を家賃の払えない奴と思いながら
半年間もそれを責めずにいてくれた
わけです。いくら貧乏学生相手だからって、このせちがらい東京にまさかそんな大人物がいるとは…。
当方はどうもそれからご主人に頭が上がらなくなりました。
2年半後。新聞奨学生を卒業して引っ越すことになったときも、学校の先生より新聞販売店の所長より
大家さんに手を合わせて(-人-)
そこを去ったのでありました。
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まあこんなお礼が届くわけもありませんがw大家さんへ。
お世話になりました、なんとかマンガで食えるようになりました<(_ _)>
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思い出話と私信、お粗末様でした<(_ _)>