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作家・吉村昭さんも(たぶん)登った(であろう)坂。

8日の土曜のことでありますが、嫁さんが「ヒマなので退屈である」という美しくない日本語でどっか連れて行けアピールをしてきました。

当節でかけるといっても遠出はならぬ、近場で何か行きたい場所は…と考え、当方ハタと思いつき、答えました。

谷中霊園なら行ってもヨイ」


当方の住む東京某所は、作家・吉村昭さんの出身地として有名であります。好きな作家さんで、小説からエッセイまでよく読んでます。で、前々から気になっていたことがありまして。

どうも吉村さんのエッセイにでてくる「空襲から逃げた場所」が、当方がむかし新聞配達していた経路の中にあるようなのです。

といって、新聞配達はもう10年以上前のこと。改めて確かめる機会もなかったのですが。いいチャンスだとばかり、デジカメ片手にゲタでカラコロ出かけました。歩いて行ける範囲。

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上に伸びているのが最近できた(最近でもないか)日暮里舎人ライナーです。日暮里から埼玉県の南端までを結ぶ短いモノレール。これをたどっていくとJR西日暮里駅にでます。

この写真からもうちょい行ったところで、右手を見ると。

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写真右、真ん中やや下あたり、こんもり木が茂っているのが、見えるでしょうか?

あの木は木自体が高いのではなく、高台に生えております。で、エッセイによりますとどうもその高台が吉村さんが逃げてこられた場所のようなのですね。よく「西日暮里の高台に」「谷中に逃げた」と書いてあります。

西日暮里駅の脇からはロコツな坂が伸びており、

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中腹まで登って振り返ると、もう駅より高くなっています。

うう

想像ですが、吉村さんは今当方が来た道と全く同じ道を駈けてきたんだろうと思うのです。南北にまっすぐの広い道で、吉村さんの生家があったという地域から最短で来るとこの坂になります。またこの坂は、吉村さんが通ったといわれる開成中学のほぼ真向かいにありますので、普段から逃げ道として指定されていたのでは…と思われます。これも想像ですが…。

と、深い感慨にふけっていたら嫁さんが真っ赤な顔で「この坂辛すぎるんだけど」と言ってきました。

…(ー_ー)

坂を上りきったところに公園があるので、その日陰に嫁さんを座らせて。

当方高台の端っこを見に行きました。

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フェンスがあり、木も茂っているのですが、見ようと思えばかなり遠くまで見えます。空襲で逃げてきて高台に登れば、自分ちの近くはどうなったか確認したいのが人情だと思いますが、きっとここに多くの避難した人が立ったんじゃないかなと感じました。

で、最初に言った通りここは新聞配達の経路だったので、当方そんなこと知らんと軽く1000回は走り抜けていたわけですが…(^_^;)


なんだか感慨深いものがありますな。

さてこの高台は有名な谷中霊園、広いお墓につながっております。これまた作家の北杜夫さんも空襲の時、青山霊園に避難したとエッセイにありましたが、お墓は避難所になるようですね。確かに住宅地に比べれば燃えるものもなく、少しは安全なのかも知れません。

諏訪神社を抜けて、霊園の中心地に向かいます。

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完全にバテている嫁さんを日暮里駅前のルノアールに涼ませて、当方は独りゲタを鳴らしてお墓のほうへ(^_^;)…

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吉村さんのエッセイでは日暮里のほうにお兄さんのおうちがあった(同時に被災なさった)とあるので、ここもきっと通られたのではないでしょうかね。

どうでもいいですが木が違うんでしょうか。数キロ歩いただけなのにセミの種類が違います。ミンミンゼミばかりだったのが、高台に入った途端、ツクツクボーシとキジバトの声になりました。

オーシ ツクツクツク と クークル ドゥドゥ 

このコンボはグッと郊外感が増しますね。

ちなみに土曜日、谷中は昨今観光地として有名になったので外国人の方、若いカップルなんかが「夕焼けだんだん」のほうへ歩いていきます。

墓地に向かうのは当方だけですw

日暮里駅の脇にもさらに階段があり、上ります。

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振り返るとまた駅の上。

この散歩はかなり高低差があります。

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ちなみにここから東へ東へとすすめば有名な上野公園です。

上野公園は比喩じゃなく上野のお山なんですね。


当方は新聞配達時代、この谷中の墓地を毎晩、毎夕、走り抜けていました。当時はまだ谷中もそれほど観光地化されておらず、久々にみた町はかなり表情が変わっていましたが…。

墓と木はかわらんですね(^^)

当方が谷中霊園で一番好きな木↓(._.)

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懐かしく、面白い木の写真など撮りながら、セミと鳩の声に聴き入り。

木陰で缶コーヒーなどすすりつつ。

喫茶店においてきた嫁さんの回復をボーっと待つより他ない土曜の午後でありました。


…お粗末さまでした<(_ _)>





オマケ

旧字体の「防火用水」、吉村さんの時代からあったのでしょうね。

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