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生きている、ということ

インドで得たことは何だったのか。
怒涛の動きを経て、ちょっと恥ずかしいけれど今までとは違った形で振り返ってみようと。インドで得たことは、と書いてもなかなか「これを得た!」とは言いにくく…でも言えるのは「生きている」という強い実感。そして自分は何者なのかという問い。

「生きている」という感覚を考えたときに思い出すのは谷川俊太郎さんの「生きる」という詩。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

谷川俊太郎『生きる』

ここで書かれたことを日本の生活で意識することはほとんどないけれど、インドでは喉が渇くことも、木もれ陽がまぶしいと思うことも、「生きている」と思う瞬間だったなと感じている。

45度近い乾季で喉が渇いたら、「飲まないと危ない」と思う、生命への危機感がある。木漏れ日だって、目視できるぼやっとした、でも力強い太陽の光を見たときに「ああ、生きているんだな」と思う。そんな瞬間がたまらなく好きだった。

インドで感じた「生きている」、という感覚を文字でなんとか言語化できないだろうかと、今まで過ごしてきた日々を回想してみる。

インドにはいろんなマーケットがある。
その中でもデリーの大好きな激安マーケットに行くと、「100ルピー!(200円)と口々に叫ぶ店員があちらこちらに見えてくる。そのエネルギー溢れる人々にも、元気をもらう。

至近距離で商品を進めてくる、というかもはや手渡してくる店員ひたすら「NO」を言い続ける時間。このマーケットを進むだけでも生命力が必要で、「今自分は必死に買い物をしているのだ」という感覚になる。

自分の行動に対してより意識的に、感覚を鋭敏にして進んでいかないといけない状況がこのインドという国にはたくさんある。
自分の意思で、自分の意識で物事を運ばせる。そうしないと予期していないことがすぐに起きがち。そのことがより「生きている」という感覚を強めている気がする。

押し合いへし合いしてものを探し買う人達、列の間隔のなさ人たちの目力。目を見ただけで「ごめん、勝てない」と言ってしまいそうなことが何度もある。顔平たい族の中でも超平たい族なので、もう目を見る前に負けている。

いつも車窓から見える橋の下で生活している子供たち。布一枚を敷いて、時々道路に出てきて車の窓をたたき、物乞いをする人たち。どこに行くにもそんな人たちに窓をトントンと叩かれる毎日。

叩いたらすぐに他の車に行くので別に危険なことは何もないけれど、それでも叩いている時間が早く過ぎますようにと下を向く時間は心がチクッとする。その、多くの貧しい子供たちの「助けて」を無視をするという行為が当たり前になっていく自分の感受性が時々嫌になる。

その一方でその人達の背後には、大豪邸や超豪華なタワマンが立ち並び、きらびやかな格好をしたインドの方々がそこから高級車に乗って出かけている風景。
一目見てものすごくお金持ちなのが分かる。その筆舌しがたい、そして生まれる前から決まっている変えられない圧倒的な格差を見たときには、脳内で情報を処理できなかったし今見てもできないな、と思う。

橋の下で生まれたら、自分は今どう生きていたのだろう、生まれたところで運命は決まってしまうのだ、そしてこの大国ではそれを挽回するのは難しく、だからこそみんな信仰があついのかもしれない、などと感じる。

横を走るのは1台に何人乗っているんだろうかと思うようなリキシャ、バイク。最大8名が1台に乗っているのを見たことがあり、みんな目には力強いまなざし。その体幹もすごいしパーソナルスペースのなさもすごい。

煌びやかで綺麗なショッピングモール。
さきほどの激安マーケットとは別世界。キラキラしたかわいい洋服や繊細なデザインの雑貨たちがたくさん。インドには女性が可愛い!と感じるトキメキファッションやグッズがたくさんある。この過酷な生活環境を健康に生きるためのアーユルヴェーダの食材もたくさん置いてある。

帰路でスピードを上げまくるドライバー。突然の車線変更当たり前、逆走もありなカオス道路、鳴りやまぬクラクション見えないルールのある暴走型マリオカート
なぜこんなに難しいカオス車道を走れるのか何度見ても分からない。
たまに横で起きている衝突事故、時々見かける丸焦げのまま放置されている車のかけら。これらすべてが自分の「生きている」という感覚を強める。

突然壊れる浄水器、家電。突如挨拶に来るシロアリの群れ。お湯が足りなくて使えない湯舟。少ないお湯をいかに効率的に使えるかの日々の戦い。

毎日数秒の停電。雨や停電でオンライン授業はたびたび止まる。
いきなり目の前が真っ白になる大気汚染シーズン。銀世界ならぬ白世界
雲の上に行ってしまったと思うくらいに何も見えなくなり、鼻呼吸が苦しくなる。呼吸をするにも空気洗浄機4台では足りない。
物理的にも「難なく息を吸える」ことが奇跡に感じる数か月。あまりに白すぎて外を飛べず、やるせなさを感じる鳩の背中。過酷な環境でも逞しく、明るく生きるインドの方々のつよさ、しなやかさ。

あまりにも見たことのない、脳をぶち抜いてくるような刺激的な日々を前に、そして全く計画通りなんてならない、遅れやトラブルを想定してもしきれない、ハードで愛すべき国に住まわせてもらって、そこから日本という国に帰ってきて、半年が経とうとしている。

半年経っても、インドで感じた刺激は消えない。忘れることのできない毎日が、愛すべき一瞬一瞬が今でも目に焼きついている。そんな毎日を過ごして自国に帰ってきて出てくるのは「自分は何者なのか」という問い。

全てがほぼ予定通りに進む国に再び住んで。
1分電車が遅れたら「申し訳ありません」と駅員さんが謝る国に戻ってきて。
ものすごく細かい調整のうえに物事が進んでいく国に戻ってきて。
言葉にならない空気で人と人が会話している国に戻ってきて。
青い空と澄んだ空気が当たり前な国に戻ってきて。

この日本という国で毎日を生きると幸福感と同時にインドから帰国したからこそ感じる違和感や窮屈さも覚える。
その違和感と向き合い、すべてが完璧で、社会や人間に対するデフォルトの期待値が高い国で生きていく生き方を、自分は何者として生きたいのかを考えねばと思う。

両国の文化を自分の頭でうまく調整できず、でも刺激的な国での経験を消したくなく、どう折り合いをつけるか。
この道のりは意外と長いかもしれない。少なくともどうも自国で折り合いがつけられず苦しい数か月があった。
でも得難く、とっても貴重なものかもしれないと思っている。

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インドの刺激を写真ではなく文字で書いてみたく、テイストの違う感じで長々書いてみました。
長い文章読んでいただきありがとうございます…!








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