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シリーズ:寺山修司俳句鑑賞#1「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」
目つむりていても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹
五月、目をつむっていても、わたしの心を掴んではなさない鷹。というような意味だ。鷹が目をつむっているのか、わたし(作者)が目をつむっているのかは、この俳句からはわからない。この場では作者が目を閉じていると解釈する。
鷹は冬の季語だが、五月と記載しているため初夏になる。コントラストを与えるためとも捉えられる。初夏と記載しても季節はあまり変わらない。しかし、初夏や皐月のようなニュアンスではなく五月と書くことで実存しているような印象を与える。五月の鷹は存在するのだ。
吾を統ぶという表記は"上"を想起させる。吾を"掴む"ではない。
鷹は自分よりも上位存在だ。目を閉じることは現実を遮断し、内なる世界に入る行為ともとれ、作者はどこまでも鷹に服従をしている。
また、もしこの鷹が何かを象徴しているのだとするならば、単なる一羽の鳥ではなく、力や権威の象徴、自由や高みへの憧れの象徴とも考えられる。