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誰からの批判を恐れるのか?

5月から「脱栽培マンサロン」という会社員向けのオンラインサロンを開始しまして、会社員の意識改革に取り組んでいます。

40人ほどのメンバーがかなり活発に投稿やコメントをしているサロンで、脱・栽培マンのための思考を私が紹介したり、メンバーそれぞれが「自分のこういった思考や行動は栽培マンだった」という自白を共有しています。

今後はプロモーションも兼ねて、このサロンのコンテンツの一部を無料でご紹介していきます。週に1回、多分水曜日に配信します!(初回から金曜になっていますがご容赦くださいw)

「栽培マンとは何か」は上記のサロンの募集文をご覧ください。


誰からの批判を恐れるのか?



この話は、とあるサロンメンバーが「何かの行動を起こす際に、批判されたらどうしようかと考えてしまう」という話を受けて、私が自分の考え方を紹介したものです。

たしかに、批判を受けることはあまり心地よいことではないかと思います。
 
しかし、批判されることを恐れたところで、何が生まれるのでしょうか?
 
なぜ批判を恐れるのか?
 
もっと踏み込んで考えると「誰からの」批判を恐れるのでしょうか?
 
多くの場合、知り合いからの批判を恐れるのだと思います。人間は様々なコミュニティに所属して生きていますが、そのコミュニティから批判されることを恐れるのではないでしょうか。
 
大学生でいえば、クラス、ゼミ、サークル、バイト先など。
 
しかし、あなたが何かをして仮に失敗して、それを批判してくる人は、あなたの人生に関係ある人なのでしょうか?
 
ひょっとすると、多少は親からの教育の影響もある気がします。
 
勉強しなさい、テストで良い点数を取りなさい、親が安心する就職先を選びなさい、とレールを敷かれて、そこから逸脱しようものなら、批判の眼差しを親が向けてくる。
 
そういう家庭環境で育った人は、肉親からの批判を恐れるということが幼心にインストールされてしまい、大人になっても「他人からの批判」を無意識的に恐れてしまうのかもしれません。
 
私は幸運なことにそういう環境ではなかったのですが、なんとなく大学1-2年生くらいまで、人目を気にするというか「批判されたらやだなあ」と思って、やりたいと思ったことを「やっぱやめておこう」と思って、実際に行動しなかったことが何度かあった気がします。
 
今ではおかげさまでネット上を中心に相当な数の批判を受けてきましたが、大抵は自分の人生に全く影響を与えない人たちからによるものです。雑魚たちですね。
 
なので、名無しの権兵衛からの批判を恐れて、何もできないなんて、馬鹿らしいにもほどがあるわけです。
 
本田圭佑さんは批判に感謝していますが、批判には的を得ているものもあるので、その意見を汲み取ってPDCAを回せば良い。
 
「うわ、批判された...」と感情的になって、ネガティブな気持ちになってしまう。それはその人自身が、批判された経験が乏しいかつメンタルが弱いだけではないでしょうか。
 
批判されてこそ一流という言葉もありますが、批判される経験が蓄積することで、メンタルが鍛えられるがゆえに、一流に到達する。という考え方もできると思います。
 
批判すらされないやつは、何もしていないということで、一番終わっているわけです。
 
たしかに、新しいことを始める時に「うまくいかなかったらどうしよう」とという考えが頭を過ぎることもあるかと思います。
 
しかし、それ以上に行動したことによって、市場から何らかのフィードバックが得られ、何かを自分に一つインプットできることが増える。
 
そう考えれば、批判されることの怖さよりも、好奇心に基づいて行動した方が、損得勘定でも「得だな」と判断でき、一歩を踏み出せるんじゃないでしょうか。
 
批判を恐れる理由と、批判に対する捉え方が人によって異なるかと思います。批判をどう捉えるのが良いか。という一つの参考になるのではないかと思い、私なりの考え方を紹介しました。

皆さんも「なぜ批判を恐れるのか」について、twitterなどでご意見をいただけると幸いです。

大物になると、批判ジャンキーというか、批判される方がすごい楽しいという人もいて、その気持ちは私も理解できます。

こういった、いわば自己啓発にもなるわけですが、それを「脱栽培マン」という独特のワードと、私なりの考え方を紹介しつつ、サロンメンバーに思考と行動の変容を促していくのが、こちらのサロンです。

ご興味のある方は、ぜひ仲間に加わってください。活発にコメントが入るサロンです。


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梅木 雄平
ありがとうございます!サポートは希少なのでとても嬉しいです^^