色のある人と、そうでない人
最近、人の色をよく見るようにしている。
東京カレンダーという、英雄色を好む、的なサイトを運営していると、多様な意味合いでの“色物”がコンテンツとして必要とされる。
その人のカラーというのは、不思議なくらいに文章に現れる。厳密には、滲み出ると言った方が良いであろう。
非モテ感や恋愛経験値、知性から律儀さやワガママさまで、本当にその人の人生が透けて見えるほどに、色が滲む。
モノトーンではない、色物メディアである東京カレンダーにおいては、色のある人が書く文章が求められることは言うまでもない。
しかし、だ。色のある人というのは、案外少ないのだなと応募されてくる文章を見て感じた。
僕自身もきわめて微妙な色をしていると客観的に思う。数字の世界においては、それなりに稼いで、毎晩かなり美味いものを食べていても、さほど財布は痛まなくなった。そんな状態で食べる銀座の鮨と、貧乏だった時代に食べた阿佐ヶ谷の『鮨なんば』。味は正直さほど覚えていないが、情景をよく覚えているのは後者だ。
要は、色とはその人が日々どれだけ何かに感動しているか。ルーティーンではなく、刺激を受けているのか。どんな金持ちでも、貧乏人でも、同じような毎日にいずれ慣れる。金持ちの銀座の鮨と、貧乏人の吉野家は、ルーティーンという意味では特別な意味を持たない。
カラフルな洋服に身を纏っていても、色がない人はいるし、モノトーンな洋服を着こなしていても、表情に色がある人はいる。
若い人には色がある人が多い。まだ見ぬ世界が多く、それを目の当たりにする度に、心を動かされるからだ。きっと中年は、そういう悦びを感じる機会が少しずつ減っていく。だからこそ、若い人と接することで、若い人の感覚を自らに取り入れたいのだろう。最近その感覚がわかるようになった僕は、31歳。
だからこそ、色のある30代は強いのかもしれない。20代に色があるのはある意味当たり前で、30代になって失われていく人が多いような気がする。光より影の多さが目立つような。
あなたにはどれだけの色があるのか。鈍色になっていないか、振り返ってみると良いかもしれない。
何も明るい色ばかりである必要はない。群青色のような苦みのある色も、人生には必要であろう。
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