松本人志のコントは「キャラクター」づくりから生まれる
ダウンタウンの漫才の設定は「ベタ」という話の続き。医者や誘拐犯、高校野球の監督といった、その辺にいる人たちを、ひねったキャラクターにしていた。
この場合、漫才という形式のためか、それほど思い切ったキャラクターのひねり方はできなかった。これがコントになると、もう一段レベルアップしたキャラクターのひねり方になる。
彼らがデビューして3年目の1985年にラジオで語っていたのは、こういうことです。
21歳ごろにこれだけ豪語できればすごいもんですよね。それで、松本さんが言っているのは、この頃すでに次のステージに向かっているということ。漫才は、ひと通りネタができあがった。ただ、それには飽き足らなかったということでしょう。
漫才の場合、設定があって、キャラクターがあってと、まあ綿密に仕上げなければいけない。また、それを舞台にかけて、日々ブラッシュアップしていかなければならない。となると、ネタを量産していくスピードは非常に遅くなる。
松本さんの場合、あふれる笑いの才能があるわけで、島田紳助いわく「ワイン造り」のような笑いだけでは、アウトプットが追いつかなる。どんどんストックがたまっていくばかり。そのストックを放出する術として、コントが選ばれた。
コントの場合は、わりと緩い設定でも許容される。とにかく、松本が演じるキャラクターが立っていればいいわけだ。初期でいえば、「ローリングサンダーマン」とか、「フリルマン」とか、「犬マン」である。
なんじゃそれはというキャラクターばかり。とにかくキャラクター作りが大好きな松本さん。それらは、「トカゲのおっさん」から「大日本人」まで続く、長い長い道のりの始まりに過ぎなかったわけです。
では、また次回。(梅)
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