「何者かになりたかった」

「何者かになりたかった」
ここ1,2年で私に向けられた言葉で最も多くて、この言葉を聞くといつも答えに困ってたじたじになってしまう。

というのも、私は平凡な30歳の女なのである。
唯一の趣味は映画を観ること、夜はせっせとスキンケアやヘアケアという涙ぐましい努力がルーティーンだし、化粧品や紅茶、本を集めるのが好きだ。あと、同行する友達がいないので水族館や神社仏閣巡りをひとりでするような友達は少ないが、普通の女性なのである。

SNS上で公言している職業がエロゲのライターなのは、ややイロモノ感はあるとは思っている。
さすがに日常生活を送る際に自分の身分を明かすときは、主にゲームのシナリオライターをしていると言う。
今も請け負う仕事の大体は、ゲームシナリオが多いから間違いではないと思う。
自分の仕事を言葉にするなら「文字なら何でも書きます」という例えが適切なのでは?というくらいなんでも書いて生きている。
詳しくは何かの折に書きたいが、25歳の時にシナリオの技術を学び、同年に商業ゲームでデビューしている。
今の私はシナリオライターで、キャリアは5年目、実働4年半が経った。

ここで冒頭に戻るが、職業がシナリオライターだと言うと昔からの知り合いは、「夢を叶えた」と言ってくれる。
その後に決まって「あなたみたいに特別な何者かになりたかった」と言われる。

私は、シナリオライターというのは、メインライターで看板でも持っているか、名の知れたシナリオライター先生でないかぎりは、きわめて、無色透明に近い存在なのではないかと思っている。
報酬は1文字〇円で換算されるし、私は実働年数相応にいただいている方だとは思う。仕事は好きだ。毎月、好きな仕事を割り振ってくださる企業様にも感謝している。
この話は後々触れるけれど、文字で生計をたてるというのはなかなかに難しい。
昔、時給で働いていた頃の方がまだ堅実だったと思うくらいには。

後は、執筆した原稿(世にでるシナリオ)を公表できる機会は私のような立場だと難しい。
基本的にこれはシナリオライター全般に言えることだ。
私は、今、2社の制作会社様にお世話になっているが、両方の企業様も詳しい私の実績や執筆したものを共有しているわけではない。
知っているのはこの世で私だけだ。
名前が出ないことを幸いだと思うが、時々、自分の抱えているものが重たく感じるし、最近は、創作関係者と話すが基本、私が自分のことを話すはまずない。
だから、私はこの仕事を無色透明に感じていて、気にいっている。

だから、私からしたら私は何者かではあるかもしれないが、何者でもない。
という認識が近い。

こうして、自分の仕事の価値観を話すのは初めてだと思う。
私の身の周りには、同期でも上手いシナリオライターの方、現在、師事を受けている先生方は私の目標だったりする。
大きな企業に属している(あるいはシナリオを書いている)ゲーム関係の方だってフォロワーさんにはたくさんいる。
そんな中で、シナリオライターと名乗るのはひどく恥ずかしい。
私はSNSではみっともない予防線を張って自らを「オタク」がライターをしているだけだと言っているし、それが正しいと感じる。
あえて、個性を出す必要もない気もしていた。
SNSの私は、好きなゲームのクレジットに関しては定期的に出すけど、やはり、「オタク」がライターをしているが正しいのだから。

ただ、どうしても最近、ひとりで呟いてみたいことがあった。
私に投げられる「何者かになりたかった」と同じくらい、「好きなことを仕事にしているのは恵まれている」という言葉。
意外なことにこれは、文字を書く仕事をしたいと思っている方にも浸透している考えらしい。
よく、創作者と話していると作品の構想やアドバイスを聞かされる場面がある。
直接的に口に出すことはないけれど、個人的には経験と知識に基づいて「厳しい」と感じる。
(あえて、感想を厳しいだけに留めたいけれど)
あくまで、私の考えなのだが、シナリオは技術だと思っている。
個人的な信仰で才能という言葉が大嫌いなので、それも関係のないものとする。

確実に、私はシナリオライターとして平凡だし、中途半端だ。
デビューの年齢も早くもなければ遅くもない。
キャリアとスキルは企業様のお力添えがあって、着実に築かせていただいているけど、表立った私はきわめて無色透明な人間でしかない。
それでも、いろいろな物事を見ていて、自分は恵まれている人間であるらしいから、私は口を閉じるしかない。

前置きが長くなったけれど、私は何者かと問われたら先述の答えになるけれど、少なくとも、何者になりたくてシナリオライターになったのではなく、文章を書いていたらいつの間にかなっていた、の方が体感として正しい気がする。
それとも、私が仕事をするうちに忘れてしまったのかもしれないけど、私にもそういう気持ちがあったのかは分からない。

いつも、「何者かになりたい」という言葉を見る度に、どうしてそう切望するのか、私は不思議に思う。
意見を交わすのは好きなので答えを聞いてみたい気持ちにかられる。

たぶん、この駄文の中で有意義なことをひとつだけ書けるのだとしたら、文字でお金を稼ぎたい人、ことにシナリオ畑を据えている人なら師事を受けるべきだ。
シナリオは技術だし、どのシナリオ媒体でも決まったフォーマットやレギュレーションはある。
自分の文章の荒はなかなか自分では気づけないものだ。
これは、私が文章を書くモチベーションなのだけど、自分が書けないと認識することが成長に繋がると思っているし、書けないポイントを明確にすることを大切にしている。

私もそうだったのだけど、自分の文章を誰かに見つけてもらうところから始まるのだと思う。
私のスタートもそこからだった。

「何者かになりたい人」が「何者かになる」のが私は見てみたい。
私の立場ではおこがましいかぎりだと自覚しているがそんな思いで初めて記事を書いてみた。
文字を書いて生きている人間にしてはお粗末な文章だと思うけれど、読んでくださった方はありがとう。
先に一歩を踏み出した人間からしたら、厳しい道だとは思うけど、夢に向かっている努力している人は報われてほしいとハッピーエンドを信じている。


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