推敲はしない
いろいろ、あって消耗している。
それでも、私には、明日も明後日も……その先も書かなければいけない物語がある。
それは、救いだと思いたい。
約1年ぶりくらいか、諸事情で父と1時間ほど電話をした。
父は21歳のときに私の親になったのでまだ52歳だ。
本当に些末な……でも、どうしようもならないことがあり、父に電話した。
その時間はすごく疲れた。
父は、私に聞いた。
友達はいるのかと。
そのときだけは、饒舌になった気がする。
私の父は、とかく物事を深く聞くからよく連絡してくれる男友達と年下の女友達がいるのだと言葉少なく語った。
そう、私は家族のコミュニティにおいて多弁ではない。
――というか、家族という信仰が私にはよく分からないでここまで来てしまった。
それでも、私は家族の一員だという体で頑張って話した。
父は、私の男友達に興味を示したらしい。
そういえば、父に異性関係の話はしたことがない。
「……とても繊細な人なの」
私が父の愛情を信じていれば、次のような話ができたのかもしれない。
「その人は、お父さんと同じ誕生日なの。お父さんよりはマシだけど、すごく時間をかけて料理を選ぶの。面白いでしょ」
「でも、愚かなくらい私にやさしいよ」
あいにくと私たち親子はそういう話をする関係ではない。
今日はいろいろとあり、気持ちに余裕がなかった。
直近締め切りの仕事を1本書いて、仕事のリライト対応をした。
いつもの日常だ。
そこに家族という存在が来て、私の心は重くなってしまった。
仕事の合間、ようやく結論を出した私は彼にラインを送った。
相手の気持ちを自分なりに考えて、ちゃんと自分なりに考えた。
あと、人に感情の機微を察してほしくて、やはり多くを語れないのはだめだ。
私の希望も伝えた。
無理だとは分かっている。でも、もしかしたら彼なら私の願いを叶えてくれる気がする。
だって、家族というコミュニティを信じていなかった私に、彼は、彼だけは信じてもいいのだということを沢山教えてくれたのだ。
家族でさえ、向けてくれなかったものを、くれるやさしい人が世の中にはいる。
私にしてはとてもワガママだけど、きっと、私の年齢の女性ならば普遍的な望みだ。
私はその普遍が欲しい。
きっと、普遍はとても美しい。
やっと、ラインが送れたことにほっとしている。
でも、自分の現実が辛くて、毎日が壊れてしまいそうだ。
よく、友人は普遍に倦んでいる。
でも、私は普遍とは尊いものだと思うのだ。
私には想像できない。私はいつだって特別であることを望まれてきた。
今は、仕事をするうえで受け入れているけど、そういう世界をまぶしく思ってしまう。
どうしても人間は手が届かないものが欲しくなる。
ないものねだりの生き物だ。
私もそう。
だめだ。これ以上、私にとっての特別を望むと、手に入らなかったときにひどく苦しくなる。傷つく。
明日も私は物語を書き、企業に書いたものを提出する。
それが延々と続く私の日常だ。