『note版 鉄道ジャーナリストになろう』第4回 3章 鉄道ジャーナリストの仕事~執筆編
ここまで本書では鉄道ジャーナリストの仕事にはどのようなものがあり、そしてどのような勉強やキャリアを積み重ねればなることができるのかを取り上げてきました。本章では筆者(梅原淳)の業務のうち、文章を書く仕事の様子を紹介し、鉄道ジャーナリストの仕事とは具体的に何か、そしてどのような心がけが必要なのかといった点を学んでほしいと考えます。
鉄道ジャーナリストとして最も一般的で、なおかつ作業量や割り当てている時間が一番多い仕事が記事の執筆です。もちろん筆者も1日の仕事時間の大半を記事の執筆にあてています。鉄道ジャーナリストと名乗る以上、とにかく自分の力で記事をまとめられなければなりません。業務の実際やその進め方については本章で紹介し、執筆の方法は特に重要ですので6章でさらに踏み込んで説明します。
(1)雑誌、Webの記事への執筆
・単発ものか連載ものかで書き方は変わるのか
鉄道趣味の雑誌、鉄道業界に従事する人向けの雑誌、広く一般の人向けの雑誌、鉄道以外の他の分野の専門誌――。鉄道ジャーナリストである筆者がこれまで執筆した経験のある雑誌です。インターネット上に公開されるWebの記事では一般向けのサイト、それから鉄道以外の他の分野のサイトに筆者は寄稿しています。
雑誌やWebの記事の形態は2種類あり、一つは1回で読みきりとなる単発もの、もう一つは回数を重ねて記事をまとめていく連載ものです。連載というと漫画のようにストーリーが完結しないで次回に期待させる内容と思われがちですが、筆者がかかわっている連載ものについてはそうではありません。一つは連載全体のテーマが設定され、そのテーマに沿って毎回1話完結で話を進めていく形となります。もう一つはそれから出版社やインターネットメディアから発表の場を与えられ、自由にテーマを設定して記事を寄稿するという形態です。前者は雑誌に多く見られ、後者はWebの記事に多く見られます。
もう一つ、雑誌やWebの記事の特徴として挙げられるのは、何を書くのかをだれが決めるのかという点です。書き手を担当する編集者が決める場合あれば、書き手自身が決める場合もあります。筆者の経験の範囲で言いますと、単発ものは編集者が内容を決定し、その内容に添って執筆するように依頼されるケースが多いようです。一方で、連載ものでは書き手である筆者が内容を考え、編集者の了承を得た後、書き始めていく例が大多数となります。
・編集者が決めた内容の記事を執筆するには
まずは編集者によって決められた内容についての記事を執筆するに当たり、筆者が採っている方法を説明しましょう。一口に編集者が内容を設定すると言っても、どの程度具体的な中身となっているかは編集者次第です。主題はもちろん、なぜその主題を選んだのかの趣旨を説明した文章、さらにはサンプルとして章や節の構成案まで立ててくれる人もいれば、「こんな内容でお願いします」と大まかな主題だけ伝えて、あとは筆者に託す人もいます。編集者にとって筆者が初めて仕事をする相手である場合、または筆者と仕事をした経験があまりない場合は内容は細かくなり、編集者にとって筆者が長年の仕事先であるときは大まかな主題だけ伝えられるケースが多くなりがちです。
事細かに中身を指定されていようとも、そして主題だけしかわからなくても、疑問に思ったことは必ず編集者に質問して、解決する必要があります。どのように書いてよいのかわからないまま仕事を進めてはいけません。
たとえば、新幹線の車両について書いてほしいという依頼があったとしましょう。車両といってもいま見られる車両なのか、それとも過去存在した車両も含まれるのか、過去存在した車両が含まれるのであればいつからか、具体的には国鉄時代の車両についても書くべきかとさまざまな疑問が出てきます。書き手である筆者が範囲を勝手に設定してはなりません。というのも、編集者がイメージした新幹線の車両で写真やイラストを発注していたり、記事全体の構成を練っているからです。
鉄道について編集者がどの程度の知識をもっているかは考慮したほうがよいでしょう。けれども筆者はあまり気に留めなくなりました。どのような事柄でもわかりやすい説明を心がけ、鉄道についての知識が全くないという人に対しても専門的な内容を無理なく理解できるような記事の作成に努めた結果、特に差し障りがなくなったからです。
・Web向け記事執筆の実際
それでは早速雑誌、Webの記事への執筆の実例を紹介しましょう。筆者が近年執筆した記事で自分自身が最も印象に残っていて、読者の参考になると考える記事は、Webサイトの「Yahoo!ニュース エキスパート」に2020(令和2)年4月24日22時ごろに寄稿した「長崎の路面電車はなぜ脱線したのか(追記・訂正あり)」です。注釈である「(追記・訂正あり)」を後日加えるまでの流れを説明しましょう。
記事は、2020年4月21日15時15分ごろに蛍茶屋支線と桜町支線との合流点である市民会館停留場(現在は市役所停留場に改称)で起きた長崎電気軌道の路面電車での車両脱線事故を扱ったものです。Web向けですから、単に事故を報じる記事であれば公開の時期は3日後では大変遅く、速報の意義はほぼありません。ではなぜ書いたかというと、事故の詳細な様子や考えられる原因を正しく伝えなければならないと考えたからです。
車両脱線事故を起こした長崎電気軌道は当日の晩にニュースリリースを出しました。事故の原因について同社は「分岐箇所の進路を選別する取扱いが不適切であったことが原因」(「4月21日発生 脱線事故について」、2020年4月21日、長崎電気軌道のWebページ、筆者執筆の時点で閲覧できない)とのことです。「分岐箇所」とは1本の線路が2本に分かれる分岐器(ぶんぎき)、一般的な言い方でポイントを指し、どうやら路面電車の運転士が間違った進路に向かってしまった結果、脱線したと読み取ることができます。しかしながら、レールの上に載っているはずの電車がなぜ脱線したのかはいま挙げた内容ではわかりません。一つ一つの単語の意味はわかるものの、なぜ、どのように車両が脱線したのかという肝心な点が記されていないからです。
・「ヤフーニュース」のコメント欄に概要を寄稿
筆者は事故翌日の4月22日の夕刻に掲載されたある乗り物サイトの記事を読み、無力感を覚えました。鉄道ジャーナリストの手によって書かれたにもかかわらず、記事には長崎電気軌道の発表をわかりやすく説明したり、さらなる取材や調査の跡が見られなかったからです。鉄道ジャーナリストとしての役割の一つ、鉄道について広く理解してもらえるように努める作業が果たされていないと言われても反論できないでしょう。
乗り物サイトに掲載されたこの記事はヤフーニュースにも転載されました。ご存じの方も多いかもしれませんが、ここに転載されますと、しばしばコメント欄が付けられます。いわゆる「ヤフコメ欄」です。コメント欄にはいったいなぜ長崎電気軌道の路面電車が脱線したのか不明だとの疑問、それから恐らくは鉄道関係者と見られる人から寄せられた推測される原因を挙げるコメントであふれていました。いずれにせよ、鉄道についての知識を得たい人たちに向けた記事の内容が不適切であったことは間違いありません。
筆者はまずこの記事に設けられたコメンテーターズコメント欄にコメントを投稿しました。これはコメント欄の常に筆頭に掲載され、同社が配信する記事に対して専門的な見地から補足や注釈を入れることを目的として開設されたものです。筆者はヤフーニュースと結んだ契約で、鉄道に関するニュースについて専門的な見方を400文字以内で寄稿する権限を与えられています。すでに見ることはできませんが、次のようなコメントを4月22日の晩に投稿しました。
400文字以内という制限から大切な前提を省いてしまいました。それは、市民会館停留場のポイントに路面電車が差しかかったら、運転士は自身でポイントを切り換えて指定された進路へ向かうという点です。路面電車は鉄道のなかでもマイナーな部類ですので、鉄道愛好家であっても知らない人が多い事実ではありますが、鉄道ジャーナリストを名乗っているのであれば知っていなければなりません。当然知っているであろうと高をくくっていたら後でその記事には載っていないことがわかって驚きました。
自由に投稿できるとはいえ、ヤフーニュースの担当編集者には一報を入れるのが社会人としてのルールです。筆者はコメント投稿直後に担当編集者あてに電子メールを送り、翌日の日中に長崎電気軌道に電話で取材し、記事にまとめるという旨の意向を伝えました。ヤフーニュースの担当編集者からは翌朝返事が来て、事故についての解説記事を楽しみにしているとの返答を得ます。
・取材に基づき記事を執筆
予定どおり筆者は4月23日の午前中に長崎電気軌道に電話をかけ、路面電車が脱線した様子を聞きました。
先方の担当者はまだ事故の原因は正確には突き止められてはいないと断ったうえで、次のように説明します。路面電車は直進と右方向との分岐となるポイントを通過しようとしたところ、前方から直進しようとする対向の路面電車が来たために待機した結果、ポイント上で停止しまったのだと。
もう少し詳しく説明しましょう。脱線した路面電車は、台車と言って前後に2輪ずつの車輪を取り付けた走行装置を車体の前後に2組装着しています。これらのうち、前側の台車がポイントのなかで線路が実際に切り替わる部分であるトングレールと呼ばれる部分の上に載っていたというのです。前方から直進してくる対向の路面電車とすれ違った後、路面電車はあらかじめ予定していたとおり、右への分岐に向かって進みました。ところが、前側の台車が通過し終えた途端、トングレールは直進に方向を変えます。「分岐箇所の進路を選別する取扱いが不適切」であったからですが、電話した時点では長崎電気軌道もその理由をつかめていませんでした。ともあれ、路面電車の後ろ側の台車は直進方向に進んでしまい、前後の台車が泣き別れになってしまった結果、脱線したのです。
筆者は電話を終えるとすぐに記事の作成に取りかかります。最大の謎、なぜ後ろ側の台車が通る前にポイントが切り替わってしまったのかにはついては筆者の推測を交えて記しました。対向の路面電車が直進した段階でポイントが直進方向に切り換えられてしまったのではないかと。
記事の執筆に必要な市民会館停留場付近の線路の様子は、Web上で公開されている国土交通省の運輸安全委員会による「鉄道事故調査報告書 長崎電気軌道株式会社桜町支線諏訪神社前停留場~公会堂前停留場(筆者注、市民会館停留場の旧称)間車両脱線事故」に掲載された「付図3 事故現場の略図」(40ページ)が参考になりました。2016(平成28)年6月2日に起きた脱線事故もやはり路面電車が右へと分岐した際に起きているので、線路はもちろん、ポイントを切り換えるための第一停止線や第二停止線の位置も正確に載っています。こうした図、それに写真を引用しながら記事をまとめました。
・掲載翌日に当事者の長崎電気軌道から連絡が入る
本文と見出しとを合わせて約6600文字、400字詰めの原稿用紙に換算して16枚半と、少々長い原稿が4月24日に完成し、ヤフーニュースの担当編集者に提出しました。担当編集者には筆者のほかにも担当する書き手がいて忙しいはずです。ありがたいことに急を要する記事ということで、いくつかの訂正点を入れた原稿を2時間ほどで送り返してくれました。これでよければWeb上に公開すると。筆者も大急ぎで確認し、4月24日の22時ごろに掲載となりました。
先方に取材を行って作成した記事が世に送り出されたら、掲載となった雑誌であるとかWebページを先方に見てもらうように努めなくてはなりません。通常は雑誌でしたら掲載誌を送付し、Webページでしたらインターネット上のアドレス(URL)を伝えればよいでしょう。雑誌の場合は手元にないケースが多いので、出版社などに言えば、代わりに送ってくれます。
「長崎の路面電車はなぜ脱線したのか」がヤフーニュースに掲載された4月24日は金曜日です。筆者は休日明けの月曜日に長崎電気軌道に御礼とともに記事のURLを伝える電話をかけようと考えていました。ところが、翌4月25日になって長崎電気軌道側から筆者あてに電子メールが届きました。電車の脱線事故についてその後の同社の調査で新たな事実が判明したことについての補足、それから筆者が推測した点の誤りについての指摘が書かれていたのです。
具体的な内容は鉄道に関する専門的な話に立ち入りますので省きますが、同社が把握した事実をわかりやすく箇条書きで説明しましょう。
1.右に分かれる途中でポイント上で停止した電車は、やって来た対向電車をやり過ごそうとした
2.架線に装着された切換器のスイッチでポイントを曲がる設定にした場合、安全のために対向電車に対して交差点の信号機は進行を意味する青(正確には緑)を表示しない。
3.ポイント上に停止した電車の運転士は交差点に設置された信号やポイントを扱う機器箱に向かい、機器箱内にある解除スイッチを操作した
4.これで対向電車が通ることができるかと思いきや、電車の先頭部分が対向電車の走る線路に張り出していて対向電車は通過できない。
5.方針を変えてポイント上に停止した電車が先に進むこととした。
6.ポイント上に停止した電車の運転士は再度機器箱に向かい、ポイントを曲がる向きに設定した。
7.ところが、実際にはポイントは直進する向きに設定されていた
8.ポイント上に停止した電車が発進したところ、前側の車輪はポイントを分岐方向に進んだが、後ろ側の車輪が徹前に直進方向に変わってしまったため、前後の車輪が泣き別れとなって脱線した
筆者が勘違いしていたのは3と6とで示された部分です。運転士は交差点の機器箱に赴かなかったと当初は記しましたが、実際には向かっていました。残念ながら、このときにポイントの方向を誤って設定してしまったのです。早速筆者は原稿を直すこととしました。
意外なことにこの手の指摘を受けると腹を立てる人がいます。確かに、だれしも誤りを認めることは嫌なものです。それから、記事のなかで書き手の考えとして読者に提示した部分を直せと言われれば困惑します。けれども、取材の時点ではわからなかった部分、そのために推測で記した箇所を後ほど直せるような指摘は大変ありがたいと思います。
長崎電気軌道の指摘を受けての修正作業は4月25日の昼前には終わり、ヤフーニュースの担当編集者に直し終えた原稿を送りました。幸いにも休日にもかかわらずすぐにチェックしてもらえます。そのときに筆者が編集部に一つ依頼した点がありました。それは、当初の記述を残しておくという点です。修正した部分は太字で記し、どのような変化があったのかの説明も作成したので入れてほしいと頼みました。筆者の要請は担当編集者に認められ、手間は要したとは思いますが、Web上での修正作業はすぐに終わり、正午過ぎには修正版が改めて公開となります。
筆者は長崎電気軌道の担当者に記事を訂正した旨を連絡しました。すぐに返事が来て、対応への御礼とともに、修正前の文章を残した点について褒められます。著述に対する責任と読者に対する誠実さとに敬意を表したいとのことです。
実はこのときの記事では文中で、乗り物サイトとともに地元の長崎新聞の記事もわかりづらいと記しました。短い文字量で長崎電気軌道のニュースリリースだけをもとに事故の模様を書こうとすればやむを得ないと付け加えたものの、悪口ばかりではどうも気が引けます。筆者はたまたま2016(平成28)年1月に同新聞の政経懇話会に招かれて講演を行ったことがあり、またその後は西九州新幹線など地元の鉄道のニュースについてコメントした縁があり、担当の記者に正直に連絡したのです。するとこちらもすぐに返事があり、どのような経緯で脱線したのかがわかってありがたいとのことでした。正確な記事を書くことは当たり前ながら、実行するといろいろと気づく点が多いものだと改めて感じ入りました。
(2)書籍の執筆
・書籍全体の6割方の作業は章立てと項目決め
書籍をつくり上げるために必要な作業は2つあり、何をどこに書くかを決める目的で項目を作成すること、そして実際に執筆することです。要する手間も時間も執筆のほうがはるかに多いのですが、それでも書籍の見取り図である項目を作成することは非常に重要な作業だと筆者は考えます。書籍全体の半分、いや6割程度はどこに何を書くかを決めていくことなのです。頭を使った作業と言ってもよいでしょう。
小テーマまで網羅した項目案が完成すると書籍を執筆し終えた気分になりますが、そうではありません。実際に手を動かす作業はこれから始まります。執筆作業自体は雑誌やWeb媒体向けの原稿と同じで、異なっているのは一つ一つの積み重ねという点です。
書籍の執筆は雑誌やWeb媒体への執筆、それから新聞やテレビ、ラジオなどへのコメント・解説や講演に比べるとゴールがはるかに遠いからです。ゴールとは、完成までに要する作業量はもちろんのこと、書籍に盛り込む情報量の多さも意味します。
・どのページにも新しい情報を入れ、だれにでもできる努力を怠らない
筆者が書籍を執筆する際に心がけているのは、読者にとってどのページにも新しい情報を必ず一つ入れるという点です。前項でも記したので繰り返しとなって恐縮ながら、鉄道について書かれた記事を読みますと、どこかで見たことのある情報が載っていて、そこから先の話に進んでいかない状況がしばしば生じます。執筆に当たって集めた資料と真剣に対峙しないからです。いや、ひどい記事になると資料すら集めないで書かれたと思われるものも見受けられます。
注意点をもう一つ挙げておきましょう。美しい文章、芸術的な文章を記すには才能が必要ですが、わかりやすい文章、読者を満足させる文章はだれにでもできる努力さえすれば書けるという点です。
どのページにも新しい情報を入れるですとか、だれにでもできる努力とは何でしょうか。たとえばいま新幹線についての書籍の執筆を手がけていると仮定して紹介しましょう。
時速200kmを超える超高速で車両が走る新幹線がそもそも建設された理由は多くの人を円滑に移動させるためです。なぜでしょうか。それは、列車が速く走ればその分線路が空き、たくさんの列車を走らせることができ、輸送力が向上するからです。
新幹線は開業後も列車のスピードを上げてきました。多くの人たちが新幹線を利用して列車の混雑が激しくなった結果、多数の列車を増発する必要に迫られます。でも、列車のスピードが同じではいつか行き詰まるので、新幹線が開業してからもスピードアップへの努力が続けられてきたのです。
いま挙げた取り組みの結果、列車の本数が増えました。その過程を説明するには新幹線の列車のスピードの向上、それから列車の本数の増加を過去にさかのぼって示していかなくてはなりません。一例として歴史の最も長い東海道新幹線を取り上げましょう。
東海道新幹線の最高速度の変遷は実はそう難しくありません。1964(昭和39)年の開業時から1986(昭和61)年までは時速210km、1992(平成4)年までは時速220km、2015(平成)年までは時速270km、現在は時速285kmです。これらは筆者手持ちの『新幹線の30年』(東海旅客鉄道新幹線鉄道事業本部、1995年2月)やJR東海が示した自社の沿革から拾うことができます。
東海道新幹線の列車の本数を比較するに当たっては、時速210kmと時速285kmとそれぞれの最高速度で最も多く列車が運転されていた時期どうしを比較しようと考えました。前者は1976(昭和56)年の時点での1日240本、後者は2024(令和6)年の時点での1日314本です。ここでいう列車の本数とは平日に毎日運転されるものと定義しました。
比較の結果は、東海道新幹線の列車のスピードが1.36倍に向上となった結果、平日に毎日運転される列車の本数は1.31倍に増えたというものです。国鉄、JR東海は東海道新幹線のスピードアップのために多額の投資を行いました。その成果はスピードの向上率にほぼ比例して増えた列車の本数にはっきりと示されています。
実を言いますと、東海道新幹線に限らず、今日平日に毎日運転されるいわゆる定期列車の本数はどの文献、資料を見ても載っていません。理由は多数の臨時列車をそれこそ曜日ごとにきめ細かく設定して運転しているので、平日に毎日運転される列車だけが走っている日が存在しないからです。でも、それでは国鉄時代のようにほぼ毎日同じ本数を運転していたころと比較できません。
このようなときはどのようにすればよいのでしょうか。列車の本数という数値は発表されていなくても、平日に毎日運転される列車の時刻はJR各社が監修する交通新聞社の「JR時刻表」に載っています。ということは時刻のページを開いて列車の本数を数えればよいのです。
「大変ではないですか」って。もちろん大変です。率直に言って2時間は要しますし、筆者は老眼が進行しているので、文字の小さな「JR時刻表」を見るのは苦労が絶えません。
「こんなこと知って何になるのですか」って。筆者が知りたいからです。国立国会図書館東京本館のホールには「真理がわれらを自由にする」という言葉が刻まれています。書籍の執筆のため、それもたった一つの疑問のために往復4時間をかけて国会図書館に調査に行きますと、原稿が進まない焦りと締切の調整とを考えながら虚しい気分になることもしばしばです。そのたびに筆者はこの言葉に助けられてきました。
長さ53.85kmと国内最長で、スイスのゴッタルドベーストンネルに次いで世界でも2番目に長い青函トンネルの工事で1日平均どのくらいの距離を掘ることができたかご存じですか。答えはわずか1mに過ぎません。最新の技術を投入し、24時間体制で工事を行ってもなお、1日に数歩分しか前に進めなかったのです。その苦労に比べれば書籍執筆を辛いと言っては鉄道界の先人たちに笑われます。
※冒頭の写真の説明
長崎電気軌道本線(写真手前)と同大浦支線(写真奥)とが分岐する新地中華街停留場付近を見たところ。市役所停留場(拙記事執筆当時は市民会館停留場)と同じく、運転士自身が進路を切り換える必要があるため、運転上の要注意箇所となっている。