高いところに登れば視座が上がると人は言うけれど
東京スカイツリーに、4年ぶりに登った。
634mという日本一のタワーから4年ぶりに見下ろす東京の街は、相変わらず薄茶色とグレーの建物がびっしり密集していて、ちょっと気持ち悪くなった。
後々調べたら、タワーの高さとしては日本一のみならず世界一らしい。
日本もやはり、世界で「一番」になりたかったらしい。
あばよ、東京
前回登ったのは、カナダにワーホリに行く直前。
ちょうど同じタイミングで留学&ワーホリに行くらしい高校時代の友人と、渡航前最後に会おうということになり、どこに行くか迷った結果、「最後に東京見下ろしとく?」と。
あばよ東京!という思いで初めて登ったスカイツリーは、高いなあ、とは思ったけれど、美しいなあ、とはどう頑張っても全然思えなかった。
スイスのベルン大聖堂(たった100m、だけどスイス随一の高さ)から見下ろすベルンの旧市街地の街並みの方が断然素敵だったし、東京ならば三軒茶屋のキャロットタワーから、世田谷線の走るローカルな街並みを見下ろす方が私は好きだ。
東京の街並みを見下ろした後、ソラマチで友人とランチをした。友人は、マルタで語学留学をしつつヨーロッパを周遊し、その後ワーホリビザでオーストラリアに渡航する予定だという。とある国家資格仕事をしていた彼女は、金銭的にはかなり余裕があることが身につけているものからもわかる。
そういう金銭感覚を人に隠そうとしないところも好きだった。
「結婚は全然したくない」
「自由に生きれるのが最高じゃん」
「楽しく生きてりゃいいんだよ!」
迷いがなく、要らないものをばさっと切り捨てる彼女から飛び出すワードは、いつもカラッとしていて爽快だ。
私自身も人から「ちょっと変わってるよね」とか、ずれてる、と言われることがあったが、日本人的な感覚からちょっとどころかだいぶずれている彼女と一緒にいると、私の心まで自由になった。
見下ろすではなく見上げるでもなく
4年前に大して感動もしなかった東京スカイツリーに再度登ることになったのは、「高いところに登って視座を上げたい」という友人に誘われたからだった。
私は「高いところに登ると、自分の悩みなんてちっぽけに思えるよ」という世間一般のそれをあまり信じていない。
そういうこともあるのかもしれないが、今の私には、高いところから地上を見下ろすよりも、地球にいちばん近いところ、海や、土や、草木や、そういうもの。しっかり地に足つけて、自分がただここに在ることに感謝していたい。
展望台では、「W1SH RIBBON」という、”東京スカイツリーが世界一高いタワーであることの1にちなみ”、願い事をリボンに書いて結ぼう、というイベントが催されていた。
https://www.tokyo-skytree.jp/event/info/ribbon2020
リボンを購入するのに500円かかるそれを、「世界一になる」という願いがある友人は嬉々として買いに行く。
私は買わないというと、「そういうところだよ」と言ってくる友人は、夢があり、目標があり、それを公言し、日々邁進していくことが何よりの誇りなのだろう。
そういうところ(がダメなん)だよ、と括弧内の言葉を勝手に付け足してしまう私は、自分の価値観が正義であると信じられる友人の真っ直ぐさをどう受け入れたら良いのか未だに迷っている。そうだね、と言ってあげられる優しさか、私はこうだから、と自分を突き通す強さか。
「要らない」という私の分までリボンを買ってくれた友人は、何を書こうか悩む私の横で「俺はもう(願い事)決まってるから」を繰り返す。リボンに書くまでもなく、友人の願いなど彼の半径5メートルにいる人は誰もが知っている。
しょうがないので、私も隣で、願い事っぽいものを書いた。
私が、心の底から願っていることは、リボンに願掛けするようなことではない。
私が心の底から願っていることは、たしかな人間関係を築き、足の裏に大地を感じて、日々幸せを感じられる自分であること、そしてゆっくりでも確実に歩める自分であることだ。それでいい。
未来にワクワクキラキラしていた4年前と比べ、今の自分のエネルギーが澱んでいる気がしてならなかったけれど、多分今は少し、停滞しているだけ。
地球のエネルギーを受け取りに、今度は友人を誘って海に行こうと思う。
ありがとうございます。下着作りに活用させていただきます🎀✨