20年、服と言葉に宿るもの
アンダーウェアを作り始めてから、服を見るのが好きになった。
以前から洋服を買うこと、ショッピングは好きだったけれど、それとは違う意味で好きになった。
いうならば、以前はファッションを消費していた。今はデザイナーへのリスペクトと共に、ファッションを愛し観察している。
アンリアレイジ20周年記念展覧会 ANREALAGE EXHIBITION “A=Z”
先日、アンリアレイジの20周年記念の展覧会に行ってきた。きっかけはシトウレイさんのInstagram。無料で見れるのがありがたすぎるほど、アンリアレイジの核を知ることができるような充実の内容だった。
20年。20年だ。1980年生まれ、今年42歳の森永邦彦さんは、22歳から服を作り続けていることになる。
34歳でブランドをリリースした私がもし、20年続けることができたなら、54歳だ。その頃のわたしは一体何を考え、どんなものを作っているのだろう。
森永さんについては、こちらの記事が詳しい。
早稲田大学出身、眼光鋭いその顔つきからも、きっと服作りに関して厳しい人なんだろうなと想像するが、実際に展示されているファッションを見て、もはや狂気、と思った。
残布でできたパッチワークは、多いもので3000~4000パーツつなぎ合わせて作られているという。
そしてもう一つ、狂気を感じたのは壁いっぱいの言葉たち。
デザイナーの多くは、あまり言葉で語らないイメージがある。言葉で語れないからこそ服を作る人種、のような。例えば言葉で語ることでモノが陳腐化したり、中身が伴わないのに口だけ達者な人だったりと、言葉が多いのはダサい、というイメージがあった。
デザイナーという肩書きを、一つの専門職と感じる私にとって、それを名乗る違和感は先日話したことでもある。同時に、noteや音声配信で毎日発信し言葉過多な私が、なんとなくデザイナーと名乗れない所以は一つそこにもあった。言葉で語りたがってしまう自分はデザイナーと名乗ってはいけないのでは…と。
もちろんアンリアレイジが最も多くを語るのは、服だ。しかし、「服は言葉を発することができない」という森永さんにとって、言葉と服とは切り離せないものなのだろう。
変な言い方なのだが、なんだかホッとした。私の大好物の言葉が、壁一面を覆っていたからだけではない。デザイナーはかくあるべし、という自分の思い込みの中にあるデザイナー像は、あくまでイメージなのだと、そこに当てはまらない人も当然存在する。活躍するデザイナーは皆、名だたるファッションの名門校でみっちり学び、パリかどこかで修行しているといったステレオタイプも、今の時代は少しずつ変わってきている。
ちなみに森永さんは、早稲田大学出身で在学中にバンタンデザイン研究所に通って服づくりを学んだという経歴の持ち主。なぜ早稲田大学に進学したのかについての理由もすごかった。詳しくはこちらの本をぜひ。
アンリアレイジ20周年記念展覧会 ANREALAGE EXHIBITION “A=Z”。
20年、考え続け、作り続けてきた人のすごさを見た。
公式サイト