相模原ALS嘱託殺人
二人の医師が、京都に住むALSの女性に薬物を投与して殺害(嘱託殺人)するという事件が明らかになりました。2019年11月のことだというから、捜査に時間を要したのでしょう。女性は以前から死にたいと口にしていたといいます。二人の医師のやってしまった事についての報道はすでにあるので、私は異なる視点でこの事件について話を進めます。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、運動性の神経が障害を受けて筋肉が動かせなくなる難病です。実際にお会いしてみるとわかりますが、進行すると眼球が少し動かせる以外、体をピクリとも動かせないことがわかります。また筋肉が動かせないために呼吸が困難になり、人工呼吸器の利用に進む人もいます。例えば、瞬きができれば「Yes」「No」のような意思表示はできますし、スイッチを使うことができますが、それも困難になるとコミュニケーションが難しくなります。しかし、スイッチとパソコンのようなハイテク以外にも、透明文字盤などの様々な方法が考案されています。
●透明文字盤 東京都立神経病院
https://www.byouin.metro.tokyo.lg.jp/tmnh/medical/central/rehabilitation/work/tool/mojiban.html
2004年、相模原市でALSの息子の人工呼吸器を母親が外して殺害するという事件がありました。私はこのSさんのお宅に行ったことがあるのです。わかりやすくするために、事件の流れを箇条書きにしてみます。
2001年3月 SさんがALSと診断される
2002・3年ごろ 私と同僚でSさん宅訪問
2004年春ごろ パソコン操作ができなくなったらしい
2004年8月 Sさんの母親が人工呼吸器を外して殺害
2005年 Sさんの母親が嘱託殺人として執行猶予判決
2009年10月 Sさんの父親が母親を刺殺(嘱託殺人)
はっきりとは覚えていないのですが、私がSさんを訪問したのは2002年ごろだったと記憶しています。その当時は障害者支援技術メーカーに勤務していて、オペレートナビ(オペナビ)という重度障害者がパソコンを操作するためのシステムをSさんに使ってもらっていました。訪問したのは、退院してからパソコンの操作がうまくいかなくなったという連絡をもらったからです。同僚のTは営業・お客様のサポート担当で、私はスイッチコネクタの開発担当でした。現状を確認しておきたいと思いTに同行したのでした。
Sさん宅の最寄り駅でTにバイクで拾ってもらい、タンデムでSさん宅に向かいました。季節は忘れてしまいましたが、Sさん宅に着いたら家に続く細い道に、植木鉢の小さな花が咲いていたのを覚えています。小さな家でしたが、とても整った幸せそうな空間でした。Sさんのご両親はどちらも静かでおとなしい人だったと記憶しています。
Sさんは当時40歳ほど。お会いすると、ALSとしては少し若く、進行も早いなという感じを受けました。Sさんの母親からは、「入院して戻ってくると、パソコンが使えなくなるのよ」というような説明を受けました。Sさんは1つのスイッチを使ってオペナビを操作していましたが、確かに、スイッチが動かせていない、適切でないという印象を受けました。問題は、入院してしまうと病院でオペナビを使うことができず、退院してくるとまた一からやり直しになることでした。私は、同行して見に行くという程度の気持ちだったので、解決策をどう考えたかを覚えていません。
それから1年ほどでパソコンが操作できなくなったそうです。ALSの人にとってパソコンは家族とコミュニケーションをとり、社会とつながる「窓」のようなものです。窓のない部屋に閉じ込められたら、誰だってふさぎ込んでしまうでしょう。そのころからSさんは「死にたい」と言うようになったようです。優しいお母さんがそれを聞かされた時は胸がつぶれる思いだったでしょう。そしてついに、人工呼吸器を止めて自分の息子の命を止めてしまったのです。
この事件が報道されたときには、とても驚きました。Sさんが「死にたい」と言っていた。母親が呼吸器を止めてしまった。わたしたちは、なぜ丁寧に、粘り強く、Sさんのサポートを提供できなかったのか。Sさんのコミュニケーションの窓をしっかりと開き続けることができていれば、この死は防ぐことができたのではないかと自分を責める気持ちになりました。
ALSに限らず、受傷した人の中には「死にたい」という人がたくさんいます。私の友人で、車いす利用の肢体不自由の人の中にも、事故のあと数年はいつも死にたいと思っていた、という人がいます。これは、ある意味当然のことです。私だって、自由が奪われるような事故にあえば、家族に当たり散らして、「死にたい」と言うかもしれない。そう思うのです。
だからこそ、死ななくてもよい。その人の生活も、人生もしっかりサポートされる社会であってほしいと思うのです。
事件から5年の2009年、執行猶予期間が終わったあと、何かの決着がついたかのように、夫妻は心中しようとしたそうです。そして、心中できず、Sさんの父親が母親を刺殺しました。二つ目の死です。この二つ目の死も防ぐことができたはずです。そのために私も地域社会も無力だった。
そして、あまり報道されませんでしたが、それから5年後にSさんの父親も自殺しました。3つの命を失いました。
今回の京都の事件報道を見て、私は真っ先にこの記憶を蘇らせました。自責の念を思い出しました。じりじりとした悔しさ。「安楽死」「尊厳死」の議論だなどと平気でいう人たちがいますが、今回の事件の核心はそんなものではありません。どうすれば、ひとりの人間に「死にたい」と言わせない社会を手に入れられるかが問われていると思うのです。
●筋萎縮性側索硬化症(ALS)(難病情報センター)
https://www.nanbyou.or.jp/entry/52
●「NURSE SENKA」2005年 8月号
ALS患者の気持ちは生と死の間を揺れ動いている
黒岩祐治
http://island.opinet.jp/kuroiwa_del/column/nurse16.html
●繰り返された嘱託殺人の悲劇、問われる地域の力
社会 神奈川新聞 2009年11月07日 23:39
https://www.kanaloco.jp/article/entry-125680.html
●上肢障害者向けWindows操作支援ソフトウェア
オペレートナビTT
https://opnv.ttools.co.jp/