石蹴り
小学生の頃、学校の石を家まで蹴って帰れるか。そんな遊びをしていた。通称『石蹴り』ーなんの捻りもないネーミングー
金曜日に息子の小学校から届いた「不要不急の外出を避けてください」というメールに従って、昨日から家にひたすら引きこもっていたけれど、流石に日曜の夕方になると外出願望が湧いてくる。朝からNetflixで『新聞記者』全六話を一気観し、息子は友達とニンテンドーSwitchで通信対戦をしていたけれど、体が太陽の光と外の空気を欲してしまう。
特にあてもなく散歩に出る。あまり寒くない。夕方の温かみを帯びた光と、緩い風を受けながら近所の郵便局まで歩き、出していなかった結婚式の招待状の返信ハガキをポストに投函する。手持ち無沙汰。なんとなく足元にあった石を蹴ると、幼少時代の『石蹴り』を思い出した。息子に『石蹴り』をしたことがあるかと聞くと、やったことがないという。これは皆どんな時代もやる小学生の遊びかと思っていたが、そうでもないらしい。せっかくなので数キロ離れた神社までこの石を運ぼうと誘うと、息子は嫌々ながら同意する。
歩道を歩いていても罠はいっぱい潜んでいるのだ。側溝にはめられたブロックの隙間、住宅街の植木の中、田んぼ道に至っては、ボウリングのガーターが道の両脇にあるようなもの。次第に息子は熱中し始め、初めはこっちに付き合って蹴り返していたのが、しまいには一人でどんどん蹴って進んでいっては、石が穴やドブ川に落ちそうになるたびに奇声を上げながらゲラゲラ笑っていた。『石蹴り』をしていると足元と進む少し先、両方を見ながら進む。
大人になっても、「足元」と「少し先」を交互に見ながら歩いていくのが良いのだと思う。この視線の入れ替えがうまくできないと、躓く。悪いときには結構な怪我もする。程々に躓いては踏ん張りを繰り返し、周りを見渡せているときは良い方で、「足元」の石ばかり見ていて上手く進み過ぎてしまうと、気づいたときには自分がどこを歩いているのかわからなくなって、迷子になってしまうこともある。かと言って「少し先」ばかり見ていても、石を空振りするし変な方向に飛んでしまって、石は穴にあっさり落ちてゆく。石が穴に落ちた後は、大人になった今も、子供の頃味わった夕暮れの気分と似ている。あの頃はいつも「明日こそ上手くやってやろう」と、明日の成功を思い描いていた。大人になった今はどうだろう。
そんなことを考えていたら、息子が蹴った石が交差点近くの大きなブロックの隙間に消えていった。「あっ…」という気の抜けた声を漏らしたあと、息子はゲラゲラ笑いこっちを見ていた。