作用し合う
私には、何かあった時に話したくなる人がいる。
その人は、Sさんという。
私は思ったことをすぐに言うことが苦手で、モヤモヤを感じたらしばらくずっとモヤモヤしている。一人で歩いたり、ゆっくり時間をかけてお風呂に入りながら自分のモヤモヤを、言葉で表せる感情にしていく。
そうしてやっと言葉になった感情の正体や自分の思いを、なぜか自分から話したくなってしまうのがSさんだ。自分の中で気持ちを整理できなくても、そのままモヤモヤをぶつけてしまうこともあるが。
Sさんとは別に毎日会ったり連絡を取り合う関係ではない。
もともと私の先輩という立場だったのだが、お互い少し似ていて、いろんなことを話すうちに『先輩後輩』というほど上下関係が強くもなく、『友達』と言えるほど近いわけでもなく、不思議な関係を築いていた。たまに会った時には、何か自分がモヤモヤしたことや、嬉しかったことを報告したくなる。毎日一緒にいる親でも、友達でもないのにも関わらず。
私はこのSさんとの関係を誰かに聞かれたら、信頼できる先輩だよと答えていたと思う。
しかし今回のカフェゼミで、少しその認識が変わった。
今回のカフェゼミのテーマは『ナナメの関係』。
この言葉自体は、以前カタリバについて調べた時やゼミ生のペチャクチャですでに知ってはいた。
知ってはいたが、具体的に自分が『ナナメの関係』を築くとか、自分にとっての『ナナメの存在』については深く考えていなかった カフェゼミを終えてからも未だピンときていない部分がある。
『安心・安全』
ふむふむ。
『ニーズに応えすぎない』
あー。なるほど。
『時間と場所にこだわる』
ほう。
『想定外を届ける』。
この『想定外』という言葉がなんだか頭に残った。
『想定外』とはなんだろう。自分が想像していなかったこと、考えていなかったこと、それを届けてくれる人が『ナナメの関係』?
Sさんのことをふと思い出す。Sさんと話していると、どうしようもない自分のモヤモヤとか、なかなか友達とは話しづらい話題についてなぜかすっと話すことができる。
私はこう思う。けどこんな話は親に言ってもという感じはするし、普段ふざけ合う友達に言ったら引かれそう。そんな時に、親でもなく友達でもないSさんと話したくなる。
たぶん、Sさんが私の話をうんうんと、先輩ぶったりするわけでもなく、逆に友達のように馴れ馴れしくするわけでもなく、ただありのままのSさんとして話を聞いてくれるから。それに安心して、私も言いにくいことをつい話してしまうのだ。今まで『ナナメの関係』について意識していなかったからわからなかったけど、もしかしてこういうSさんみたいな人を『ナナメの関係』の人というのだろうか。
けど、『想定外を届けてくれる』とは少し違う気がする。
前にこんなことがあった。
私が自分に自信を持てずに、いろいろと考えすぎてしまっていた時、Sさんにその思いを打ち明けていた時のことだ。話を聞いてもらえるだけで不思議と心はすっきりするもので、自分の黒いモヤモヤを吐き終えた頃には、なんとなく心が軽くなっていた。SさんもSさんで追い詰められていて、彼女の話を私も聞いていた。私は自分の言いたいことを上手く言語化できないから、ただただ自分の思いをそのまま伝えることしかできなかった。
話の最後に「Sさんがいてくれてよかった」と私が言うと、「わたしもれみちゃんがいてくれてよかったよ」と言ってもらえた。
私はその時に、自信の無い『自分』という存在を認めてもらえた気がした。
思いもよらないことだった。
自分の発する言葉も誰かに届いてるなんて。
『想定外を届けてもらった』という受け身的な表現よりは、その人とのやりとりによって『自分が想定外に出会った』という相互的な表現のほうがしっくりくる。
『ナナメの関係』と言っても、限りなく横に近いナナメもあれば、縦寄りのナナメ、↖、↗、↘、↙、いろんな方向にあるのだと思う。そして、私は『ナナメの関係』とは矢印が一方的に向かうものではないと思う。自分を起点として相手に向かうものではなく、お互いに矢印が向いているのではないだろうか。
『ナナメの関係』だからといって、こう振る舞うべき!というのがあるのではなく、お互いにありのままでいることでお互いが作用し合い、認め合うことができる関係。
そういう関係が『ナナメの関係』なのではないか。
そんなことを思った木曜日の夜だった。