『予定外』に出会う
「カフェ」とは。
そう聞いてまずパッと思いつくのは、大手チェーン何社か。新作のドリンク片手にお喋りする女の子達や、ノートパソコンで何やら作業をしている人。
そのあとに思いつくのは、暗い店内にコーヒーの匂いが漂い、クラシックの音楽が流れているような、そんなイメージ。(カフェというより喫茶店?)
私は普段あまりカフェというものに行く機会が無い。
コーヒーを飲みたいならコンビニで買うし、何か作業をするなら家、集中したいなら学校のスタディールームでする。お金もかからない。
一度だけ、なんとなくまっすぐ家に帰りたくなかった時に、ちょうど読みかけの小説を持っていたので客の少ないカフェにふらっと寄ったことがあった。なんかコーヒー飲みながら本読むなんて大人になったなぁって思った記憶がある。くらい。
そもそも、カフェゼミまで、カフェについて何か考えたことすらなかった。
街に必ずあって、普段は通り過ぎるけど、「足が疲れたから休みたい!」とか、友達と遊んでいて「ちょっと休憩してこっか」、もしくは「あそこのラテアートが可愛くて話題だから行こう!」とか、そんな時しか入らない。
ここまで考えてみて、気付いた。
あ、私、何か『目的』が無いと入らないんだな。
今まで当たり前のようにそうしてきていたから気付かなかったけど、カフェに限らずどこか場に入る時は、まるで入場許可証のように、何か『目的』を携えてその場に行っていたかもしれない。
カフェにしてもそうだけど、例えば図書館に行くにしても、予約していた本を取りに行くか借りる本を事前に決めて行くかだ。旅行も細かくスケジュールを組んで、それに則って行動する。
だから、カフェゼミでのサードプレイスや、Informal Public Lifeについてのお話にはいろんな気になる話題や新鮮なワードがたくさん出てきて、ひとつひとつ頭の中で考えたいのにどんどん話が進んで、ついていくのが大変だった。
『そこに行けば誰かに会えるかも、何かあるかもという期待が持てる』
『単一の固定的な機能に特化していない多面性』
まるで逆だ。私の中のカフェと、サードプレイスとしてのカフェと。
ちょっとしたカルチャーショックだった。
カフェって?カフェとは…?カフェって何だっけ?
帰りの電車の中で、今これを書いているこの瞬間、カフェについて、サードプレイスについて改めて考えてみるけど、結局ごちゃごちゃしてよくまとまらなかった。
いまいちまだピンときていない部分もある。
というのも、サードプレイスというものがまだよくわかっていないから、サードプレイスとしてのカフェというのに「なるほど」と理解はできても、そこから共感ができない。ただ受け身の自分がサードプレイスという知識を得ただけに過ぎないような気がする。
前のブログに、井の頭公園によく行くと書いた。あれはどうだろう?
あそこの店寄ってみようとかはあるけど、これをするために行くんだという明確な目的は無い。大体どんなマーケットが開かれていて、どんなパフォーマーがいるかはわかっているけど、毎回ちょっとした発見があったりしてたのしい。何があるかはわかっているけど行ったらちょっとワクワクする。私にとってそんな場所だ。
もしかして、サードプレイスってそんな「予定に無い発見」がある場なのでは?
いろんな目的の人がいて、違いを受け入れてくれて、機能化されてなくて。ごちゃごちゃした、混在した場?
意図せず生まれる感情や発見、出来事になぜか惹きつけられて、特に理由もなく、またふらっと訪れてしまう。そんな場所なのではないか。
当たり前の日常の中にある、当たり前の風景としてのカフェ。
もしかしたら、いつもは通り過ぎているあのカフェも、入ってみたらそんな場所なのかもしれない。
そう思うと、なんだかカフェに行きたくなってきてしまった。
思いもよらない何かと出会えるかもしれない。