価値の話
こんばんは。インプットの量を急に多くし過ぎてなにを書こうか迷いに迷い、結局なにもまとまらないまま書き始めてしまった者です。
せっかくなんで、インプットした内容とは全然関係ない話をしようと思います。
私がやりたいことって、結局今は形がなくて具体的でもなくて、さらに言ってしまえば言葉ではすぐに表現できないようなことなんです。
“新しいこと”が好きなんですけど、この世界には常に新しいことが生まれていていざ形にしようとしたときにはそれはもう一昔前のもの、なんてのはザラにあります。
じゃあやりたいことは一体何かと、問われたら結論こう答えます。
『私の都合で変容し、私の都合で巻き込み、私のために存在するそこにはあるのにそこに縛られない、世界や環境を新しく賑わかすコミュニティのような安心できる場所作り』がしたいんです。意味わからないでしょう笑
でもこれ、別に私の理念から外れていないですしなんなら的を得てるんですよ。
私の理念は『関わるすべての人に感謝を』なので、安心できる場所作りをするっていうのは私からの無条件のギフトなんですよ。感謝の証です。
結局私の行動原理はいつも大切な人たちが中心で、やりたいこと、夢なんかはそこに直結してきて当たり前なんですよね。
もちろん具体的にやりたいことはありますが、それは状況に応じて簡単に変容するものです。
飲食店をやってみたい、と思う先には色々なコンセプトが生まれて結果的に飲食店という括りじゃなくなるかもしれないし、カメラのスタジオをやりたいという先にはもしかしたらYouTuberみたいなことをしている状況になるかもしれない。
今こうだ、と思っていることは私の都合で簡単に変えられてしまうんですよ。
ただ一個通したいのは、全てのものに意味を持たせる。ということ
飲食店ならどうしてこの名前にしたのか? どうしてこのお皿の柄なのか? 料理にはどんなこだわりがあるのか?
すべてのものに意味を持たせるということ=プロ意識を持つということ。
意味もわからず経営なんてしている人は当然上手くなんていってないですし、そのうち潰れますから。
私がやることなすことすべてには説明がつけられる、ということは単に私からすればサービスの最低限なんですよ。
価値があるものには自信を持って価値があると伝えたいでしょう?
もし価値があるものがあって、それを説明できる人がいないままでは価値は立証されない。
「なんかわからないけどこれはすごいものです」
なんて言われて「わぁ、すごい」ってなりますか? ならないですよね。
私はそれを、生き様で見せれたらなって思うだけです。
そして立証するのは私の大切な人たちです。私のことを評価してくれて、すごいんだぞと説明してくれる人たちは、大切な人たちがいいなと、それだけなんです。