足元には、蟻と石ころと生活が転がっている
ところで足元を見ながら歩いていて、電柱に当たったことはありますか。
私はある。恥ずかしさと、地味な痛みとで、やるせない気持ちになる。
昨今は、スマホを見ながら歩いている人が多く見受けられるので気をつけてほしい次第である。電柱に当たったときの、どこにもぶつけられないなんとなく腹立たしい気持ちを味わいたければ別に構わないのだが。……むなしくなるよ。
といいつつ、私もたまに歩きながらスマホを見てしまうので気をつけようと思う。
だけど下を見ることを、私は否定しない。たまには落ち込んだり、嫌なことがあって、下を見ることもあるだろう。せっせと食い物を運ぶ蟻を見たら、蟻も生きてる、私生きる。となるかもしれない。そんなときがあってもええやん。
子供の頃だと下を見ながら石ころを蹴っていた記憶がある。
歩いては蹴って歩いては蹴る。意味もなく続くその行為は、石ころが溝に落ちるまでやり続けるはめになる。なぜか楽しかった。
近くにいた友人に、蹴って誰かに当たったらどうするんだ、危ないだろうともっともなことを言われても蹴り続けた。幸いなことに石ころは誰にも当たらなかったけれど、私は電柱に当たった。もう石ころは蹴らない。
石ころは蹴らなくなっても、下を見るのはやめられない。大人になれば見るものも、楽しみも変わるのだろう。人の足元を見るのが好きだ。変態と言われても仕方ないかもしれないが、つい見てしまう。
今まで靴に夢中になったことはなかったけれど、見ていると面白い。
どことなく生活感がうかがえる。ボロボロになるまで履き古した靴、今朝おろしたであろう新品の靴、捻挫したら骨まで折れるのではないかと思われるほどの高いハイヒール。挙げ出したらきりがない。
飽きない。言いすぎたか。いつまでも見ていられるという方が正確だ。殊、電車の中だと余計に。
お洒落な革靴を履いている人を見かけたら、つい見入ってしまう。あまり前のめるのもずうずうしいのでさりげなく。目を輝かせて。キラキラ。
かかとを踏んでいる人を見かけたら、せっかくの靴がもったいないと思ってしまう。かかとにロゴが刻まれていたら、なおさらだ。それを見せなくてどうする。靴の醍醐味だぞ、とかなんとか心の中でボソボソと言いながら見る。ジロジロ。
奇抜なスニーカーを見かけたら、どこで買ったのか素直に気になる。開発した人の意図も気になる。なぜその柄のチョイスをしたのか。色んな角度から見てしまう。マジマジ。
靴である程度のことを判断してしまえるので、ばかにはできない。足元も清潔感を保っておきたい。
そんな私はぬかるみにツッこんで、靴は泥に汚れておる。えらそうにいえたものではない。
なので今日は靴をキレイにすることにして、明日は輝く真っさらな靴で街へ繰り出すことにする。