わたしは贋作

文庫本にしては少し分厚い、「これ、読み切れるかな?」といったサイズの本を手に取った。

なんとなく、ぼんやりその表紙の色に魅せられて。

いつも本を買う時は本のコーナーをぐるりと一周(多い時は二周)、イヤホンで音楽を聴きながら探す。何故か激しい音楽を聴いている時は激しい感情が現れている本を手に取りがちだし、優しく、切ない曲を聴いている時は愛を語っている本を取ってしまう。(あぁ、我ながら単純でものすごく感情的だ)

それくらい私の中では文章と言葉と音楽が持つエネルギーが似ていて、それでもって同じくらい興味がある事だ。(ただし今回の話には一切関係ないし忘れて欲しい)

たまたま手に取ったのが「わたしは贋作」だ。

大体、始まる前に人物紹介が書いてあるものを見ると、目眩がする。全てカタカナで書かれている名前を覚えるのに時間がかかるし、さっきまで主要人物として出てきた「マックス」がいきなり分からなくなってはまた戻るのだ。(ちなみにマックスは最初から最後まで私が嫌いな女だ)

女性として感じる理不尽な気持ち、人生へのもがき、田舎から都会へ出てきた気持ち、逃げ出したい日々、アイデンティティの確立、自己愛、ロールモデルを追い続ける姿、格差社会、そして友人達への愛憎、落胆、絶望、孤独、裏切り、暴力、嘘。

共感する所もあり、辛く苦しい日々の女性の成長物語か、と思いきや、いきなりアパートが全焼する。

完全に「???」だ。

もっと酷い事が起こるのか、それすらも乗り越えて前に進んでいく成長物語なのか。

いや、待てよ。

ミステリー要素が少しずつじわじわと滲み出てくる。(これは是非読んでほしいし、読まないと成長物語とミステリーは混ざり合わないと思う)

そこで「ケアリー」の登場である。

これに関しては私と同じように登場人物で一旦目眩を起こしてから読むのをオススメする。

ケアリーが出てきてからはラストまで物凄い勢いで駆け抜けていく。少し分厚いけれど、読み始めたらどんどん壊れていく「わたし」から(テーブルに皆んなを集める所は特に狂気しか感じない)目が離せない。

風景描写はいつだって暗い物を想像させられるし、いつも孤独だ。

兎に角、主人公である「わたし」はいつも悲惨な目に遭っている。

でも、それでも、そこから這い上がろうとたまには寄り道をしながら、もがいてもがいて、黒くて赤い水の湖から這い出ようとしているのだ。

この物語には嫌な奴がいっぱい出てくる。むしろ良い人がいないのではないか。

結局信じては裏切られ、それでも夢を持って進んでいく。

読み終わった後に嫌な感じがする訳ではないが、またしても、「今度こそ幸せになって欲しい」と願い、理不尽な彼女を取り巻く全ての事象に腹が立ち、彼女のその後が潤いのある、優しい世界でありますようにと願わずにはいられない。

今でも周りに普通に存在している、差別や人種問題、性暴力や女性蔑視、そういう全ての闇を詰め込んで、それでも前を向こうと歩いていく「わたし」が私の中でも少し、こんな世の中から抜け出す希望になった気がした。

不器用で、傷付いても、自分の力で這い上がろうとする「わたし」のように。

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