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【三国志を語りたい】黄巾族

ついに始まります黄巾族の乱!

三国志を読み始めた人はまずはじめに出会うのがこの出来事だと思います。

今回はこの黄巾の始まりを解説して、これを機に生まれてくる英雄達への繋ぎの物語としていきたいと思います。

後漢の政治の乱れについては先日の記事でも記載した通りで、宦官、外戚による政治の私物化がおき、それはもちろん民衆にはねてきています。

やっとの思いで梁冀を誅罰して、新たに桓帝の治世が始まったかと思えば、宦官主体の政治に戻っただけ・・・
そして極みつけはその後の霊帝でした。

霊帝も類にもれず幼いながら即位しましたが、これがいつまで幼かったようです。
政治は宦官に任せっきり、正義の上疏をしても宦官が握り潰して、上疏した者は死刑、こんな国どうにかしてる・・・
それどころか霊帝は後宮で美女と遊びまくり・・・(クソぅ羨ましいぞ!)
そんな遊興に明け暮れている間、地方の暮らしは荒廃を極めてしまいます。
おそらく霊帝はこの状況を知らなかったのでしょう。

ここで民間で宗教色を持ったある組織が生まれてきます。
それを

「太平道」
と呼び、大賢老師を自称する張角が主となって中国全土を席巻していくことになるのです。
張角は医学に通じているようで、人々を病から治す際に奇蹟のような演出をしたのでしょう。次第に彼を崇拝する者が増えていきます。
そもそも荒廃した現実が人々の心をすくっていたのかもしれませんね。
ともかく、太平道という後漢が敷いた倫理から外れた世界観は人々に希望を与えたのは確かで、青州、徐州、幽州、冀州、荊州、揚州、兗州、豫州の民は残らず入信したようで、蜂起前の時点で数十万という規模まで発展したようでした。

これを危惧する官僚もいないわけではないですが、上書も宮中で保留されたのか、未然の対策もできないまま、時が流れます。

この入信の流れは民衆だけではなく、官にも浸透していました。
そして、いつしか黄巾は王位転覆を図ったのか冀州の官と民の内外で決起が画策されていたのでした。
これはすんでのところで露見し、この決起は立ち消えになったのですが、問題はこの後。

黄巾もこうなると後がないので、張角は各地に一斉蜂起を促します。
この一斉蜂起の号令は黄巾ネットワークですぐに共有され、挙兵するとすぐに猛威を振るいます。
蜂起時には30万人程がいたとされ、地方の官府は次々襲撃されていきます。
地方豪族の叛乱ではびくともしなかった後漢はこの民衆蜂起で一気に谷底へ落ちていきます。
各地で伝わる悪い知らせ、流石の霊帝もこれは苛立ちを隠せないようか、歴戦の猛者を戦地へ派遣させて、黄巾の殲滅を命じます。


三國無双や三国志演義もご覧になっていると、この辺で劉備や孫堅、曹操といった活躍も見ることになります。
もちろん彼らも活躍をしていますが、この黄巾族をほぼ1人で殲滅させたと言える武将がおります。

それが、皇甫嵩です。

ということで、次回は兵法の天才皇甫嵩について語っていきたいと思います。
この皇甫嵩がマジですごいです。
歴史の闇に消えた大英雄とはこのこと、そう思える高潔な武将ですので、乞うご期待ください!


なぜ、こんなに面白いのか?読めばわかる。




①光武帝→②明帝→③章帝→④和帝→⑤殤帝→⑥安帝→⑦少帝→⑧順帝→⑨沖帝→⑩質帝→11桓帝→12霊帝→13少帝→14献帝



三国志
宮城谷昌光
文集文庫

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