【三国志を語りたい】梁冀 〜権力で宮廷を混沌と化した悪漢〜 vol.2
前回記事
李固は超絶優秀、清廉潔白な官僚です。
そんな彼のエピソードとしては、なんとか李固を罷免したい梁冀が人事権を行使して、荊州へ赴任させます。
この荊州は当時は盗賊が多く、統治が困難とされていた地域です。
ここで統治を失敗させて失脚させよう、それが梁冀の腹の内でした。
しかし、李固は優秀です。
単身で敵首領に出向き、交渉の末、盗賊業から足を洗わせて、荊州の統治に成功したのでした。(一言でサラッと書きましたが、ものすごいことです!)
意地の悪い梁冀は地団駄を踏んだことですが、懲りないのか今度は泰山というより盗賊が蔓延る地域に李固を赴任させますが、またもや統治に成功させてしまいます。
当然のことながら李固は梁冀を快く思っているわけはありません。
彼が政治を蔑ろにしているのは火を見るより明らかなのです。
そんな感じで李固は実力で梁冀に対抗する唯一の勢力として、宮廷で熾烈なバトルを展開していきます。
先のご紹介で順番が前後しましたが、順帝が崩御し、沖帝が早逝してしまうと後継に困ってしまいます。
ここで梁冀は系譜を辿って渤海王の子の纘(質帝)を推しますが、彼はまだまだ幼く、対する李固は清河王蒜を推します。
梁冀が纘を推す理由は皇室の血筋でその人となりも立派だから、とのことでしたが、まだ幼いのにどうやってそれを信じさせようと思ったのか・・・
李固が推す蒜は既に成年で王となっており、その治世も知性も評判が高く、血筋も纘と同様に申し分ないのです。
それに小さな皇帝が立ってしまうとまた宦官、外戚が暴れ出すので、そろそろちゃんとした成年皇帝を立てるべきと李固は主張します。
もう李固が言っていることが正論すぎますね。。。
しかし結果としては、梁冀の妹で、順帝の后の梁皇后は纘を選びます。
(これには曹騰も関わっていたとか。)
質帝の誕生ですが、先のエピソードの通り、梁冀を馬鹿にしてしまい、あえなく毒殺されて9歳で生涯を閉じます。
この梁冀という男は先のことを考えているのでしょうか・・・?
またまた後継争いで大揉めになります。
梁冀は系譜を辿ってまた幼い河間王の系譜の志(後の桓帝)を推します。
いい加減にしろ!! と思わず言いたくなる人もいるでしょう。
もはやこの男に正義はありません。
李固は前回に引き続き清河王蒜を推します。
この清河王蒜の話をすると、彼は大の宦官嫌いです。
そして外戚による政治もよしとせず、正式な皇帝の政治を目標としている今の時代ではまともな考えの王です。
ですが、この時代では異質のようですね。
宦官を敵に回すには生まれてくる時代が早すぎたようです。
梁冀は巧みに宦官を利用しておりますし、また梁冀には他に妹がいて、その妹を志に嫁がせたいと考えていました。
その思いは梁皇后も同じでした。
梁皇后は常識人で兄の梁冀のような横暴なことをせず、むしろ兄の抑止力となっておりましたが、この時は妹を案じる心が勝ったのでしょう。
李固がいると妹が幸せになれない、そう言われたのか李固を投獄してしまうのです。
むごい・・
そして、半ば強引に桓帝が即位します。
その後、李固は梁冀によって殺されてしまいます。
それからというもの梁冀の悪辣さは増してきます。
歯向かった者は難癖をつけて投獄、死刑、その一族郎党も罰してしまいます。
正義の上訴を行った者も須く処刑の大地獄です。
また、彼はなぜか兎を愛してました。
それにより兎を傷つけた者も処罰される、とんでもない憐れみの令を行ったのです。
それも兎を傷つけた疑いがある者までになるので、酷い有様です。
そしてそして、自身の豪華な屋敷も造り始めます。
宮廷に並ぶ規模とされ、やりたい放題の限りを尽くします。
ただ、悪は栄えることはなく、終わりは突然来るものでした。
我慢ができなかったのは梁冀に推されて皇帝となった桓帝その人でした。
次回、梁冀死す。それでも止まらぬ後漢の転落。
なぜ、こんなに面白いのか?読めばわかる。
①光武帝→②明帝→③章帝→④和帝→⑤殤帝→⑥安帝→⑦少帝→⑧順帝→⑨沖帝→⑩質帝→11桓帝→12霊帝→13少帝→14献帝
三国志
宮城谷昌光
文集文庫