新型コロナウイルス問題は「必要緊急」なものと「不要不急」なものを分別し、必要緊急なものはベーシックインカムで平時から支給せよと提言するいい機会
不要不急な外出は控えましょう、家に居ましょう(stay home)というのがすっかり世界中に浸透し、同時に、それで経済が回らないために職を失い、明日や来月の食事にも困る人が出てきています。
不要不急とは、そして、その反対の必要緊急とは、いったいなんなのでしょう?
今回の新型コロナウイルス問題は、今の人類社会がどれほど不要不急なもので溢れているか、そしてそれがどれだけ、日々の社会の豊かさを底上げしていたかを、実感させる事態になってると思います。
そこで浮かび上がったのは、不要不急なものであるにも関わらず、それでお金を稼がないと必要緊急な生存すら危ぶまれる人がこんなにも多かった、という事実です。
スペインは人命を守るために不要不急の「労働」を2週間禁止する措置を行いました。人命最優先のために止めてもよい労働が社会にあるということを、国家レベルで認めたと言ってもいいのではないでしょうか?
いわばこれは、生存に不可欠な必要緊急の労働と、社会を豊かにするために存在してるようなプラスアルファを構成する不要不急の労働を分別する、巨大な社会実験がはじまったとも言えるわけです。
今回の措置には、本来なら必要緊急に分類されるものも数多く入ってしまってるでしょう。それくらい緊急の事態ですから。建設、メンテナンス、その他まぁいろいろあるでしょう。それらを平時における必要緊急に加えても、それでもやはり、平時ですら不要不急である労働がきっと多くあぶり出されます。それをしっかり覚えておきましょう。
そんな状況である今こそ、ベーシックインカムの導入を真剣に考えるべきときです。自分は必要緊急な分は常にベーシックインカムで配り、もっと豊かさが欲しい人は働けばいいという考え。その見極めがこれで出来ると思っています。
もし新型コロナウイルスに関係なく「不要不急の労働」を止め、第一次産業・第二次産業、医療などの「必要緊急の労働」だけを回し、その成果を全国民にベーシックインカムで分配し、足りるなら、それ以上の労働は全て不要不急の労働と定義づけられる。それは社会の豊かさを底上げするものだが、不要不急だということになります。
それら余剰な豊かさは、もちろん、人間生活に彩りや楽しさを加えるために本当に大事なものであり、行為です。だが今までの社会は、不要不急な労働であっても従事しないと「働かざる者食うべからず」と言って、最低限度の生存からも追放されるのを当然の自己責任としてきた。この悲劇的な考え方のおかしさに気づく機会にすべきです。
「不要不急の労働なんかない、働かなきゃ食えないんだよ」と言ってるそこのあなた。働かなきゃ食えない、その前提自体、間違ってると思ったことはないですか? 生きるために必要なものとはなんでしょうか? それをこの機会に、よく考えてみてください。
たとえばポルノ雑誌の編集で食べてる人がいるとしましょう。それが極端なら、シルク・ドゥ・ソレイユでも劇団四季でも、宝塚でもいいです。宝塚は第二次世界大戦でも公演してた。それら自体はどんなに不況な社会でも需要はあるでしょうけど、だからといって必要緊急な仕事ではありません。ポルノ雑誌を作らないと生きていく糧を得られないのだとしたら、それは必要緊急な仕事ということになってしまう。そういうものがあぶり出されるのが今の状況です。
それらに従事してるあなたが避けるべき最大の問題は「ご飯を食べられなくなり餓死すること」ではないですか? それくらいは無条件で保証できる豊かさも生産性も、今の社会には十分あります。
スペイン政府がこの状況でも認めてる労働こそ、それらを生産し流通させる基幹産業です。当然、全国民が必要とするぶん、生産してもらう必要があります。ですがそれ、今回の措置で「不要不急だから家にいろ」と言われた人が全員参加しないといけないものではないですよね? 第二次世界大戦の頃よりはるかに機械化も効率化も進み、第一次産業・第二次産業に従事する人は歴史上、最低の割合になっています。
必要緊急な労働というのは、たしかに重要ではあるが、全国民の参加を必要とするものではないんですよ。
需要の有無とそれが必要緊急・不要不急かどうかは、別の話です。需要があるなら必ず必要緊急だということではない。ポルノ雑誌にも演劇にも需要はあるが、それはあくまでも社会の豊かさを構成する一部分です。
不要不急な労働で社会を豊かにする人々、その行いは本当に素晴らしい。それが人類社会を、文化を、進歩発展させてきた。日々生きるか死ぬかではなく、生きるって楽しいなと思えるいろんなものを生み出してきた。でもそれは、どう言ったって不要不急なんです。その事実を今、突きつけられてるんです。
そのためには必要緊急の労働によって生産されるものはベーシックインカムで平時から支給される社会にしたほうがいい。そうすればこういう時、すぐに不要不急な労働を止め、感染拡大を阻止しやすくなります。今こそ、今だからこそ、ベーシックインカムの必要性を社会に広く訴えるべきときです。
最低限度の、必要緊急な部分は無条件で保証してもらった上で、他の人は社会をより豊かにするために、その能力を平時は不要不急な労働に使いましょう。そして社会をより豊かにしましょう。
今回の騒動が収まっても、今後のためにも平時からベーシックインカムを支給せよ!
これで本文は終わりです。以下には何もありません。もしよろしければ、投げ銭などいただけると本当にありがたいです。自分自身の仕事がいわゆる不要不急でして、3月から収入ゼロです。ベーシックインカムさえあれば、こういう時でも餓死や家を無くす不安から解放され、素直に家に居られるのになと思います。
2020.8.23追記
その後いくらか考えが変わりました。とりあえずツイートし、togetterにまとめました。最終的に考えがまとまるのは、今回の新型コロナ騒動が終わってからということになるかと思います。
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